「阪急最後の日」に見せた“男の意地”は忘れられない…2度にわたって惜しくも首位打者を逃した「松永浩美」

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三振の直後にスタンドから拍手

 だが、この日はオリックスに身売りが決まった阪急にとって、最後の試合。本拠地・西宮球場には、阪急のラストゲームを見ようと、日本シリーズ第2戦と同日に行われた消化試合にもかかわらず、3万7千人のファンが詰めかけていた。当然スタンドからは大ブーイングが起き、険悪なムードも最高潮に達した。

 そんななか、「このまま(ブーイングで)終わるのも嫌だな」と考えた松永は、3ボールから3回バットを放り投げるようにして、自ら三振に倒れた。

「三振? ただ立っているだけなら、誰でもできる。何とかしようとするのがプロです」と説明した松永だが、その心意気は阪急ファンにも伝わった。松永が三振した直後、なんと、スタンドのブーイングが大拍手に変わったのだ。

「三振してあれだけ拍手を貰ったのは、僕が初めてじゃないかな(笑)」。この三振で打率は毛単位で下がったものの、高沢に1厘差の.326をキープしてシーズンを終えた。

 阪急最後の日に“記録よりも記憶に残る男”が見せた最後の意地を覚えているファンも多いはずだ。

 それから3年後の1991年、オリックス時代の松永に再び首位打者のチャンスが巡ってきた。

 打率トップは、プロ3年目のロッテ・平井光親だったが、シーズン終盤になって、初タイトルへのプレッシャーから、打率を落としていた。10月5日の近鉄戦も3打数無安打に終わり、打率.319から.316に降下。「もう自分がよくわからなくなってきた」と弱気のコメントを口にした。

3度目の正直は

 一方、この日の日本ハム戦ダブルヘッダーがシーズン最終戦となった松永は、第1試合で3打数2安打を記録して打率.314まで追い上げると、途中交代し、第2試合も守備固めのみの出場で全日程終了。無理をせずに、まだ最終規定打席に到達していない平井が、残り7試合で自滅するのを待つ形になった。

 その後、平井は打率.316をキープしたまま10月16日のダイエー戦を迎えた。最終規定打席まであと「3」。首位打者を獲得するには、3打数1安打が条件だった。

 この日、スタメンから外れた平井は、1回に先頭打者・西村徳文が振り逃げで出塁すると、次打者・横田真之の代打で登場した。

 これは金田正一監督の作戦で、平井が送りバントを決めれば、打数ゼロで1打席が稼げる。まさに数字上のマジックとも言うべき裏技だった。平井は見事投前に犠打を決め、2打席目は三振、3打席目は遊飛に倒れたものの、松永にわずか4毛差の打率.3144で逃げ切った。

 88年に続いて、再びロッテの選手の後塵を拝する結果となった松永は「自分が残した数字が低かったけれども、全力を尽くした結果だから仕方がない。首位打者のタイトルはどうしても欲しいので、これをバネに来季チャレンジしたい」と“3度目の正直”に賭けた。だが、その後、チャンスは2度と訪れず、打率.314をマークした1994年も、首位打者は新星のように現れたオリックス・イチロー(.385)にさらわれた(松永はリーグ4位)。

 そして、ダイエー退団後の98年春、メジャー挑戦を最後に37歳で現役引退。常に“今この瞬間”に全力で挑戦しつづけてきた“NPB史上最高のスイッチヒッター”は「基本、プロ野球で残してきた成績に対して、“あのとき、こうすれば良かった”というのはありません」と回想している。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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