「阪急最後の日」に見せた“男の意地”は忘れられない…2度にわたって惜しくも首位打者を逃した「松永浩美」
起死回生の逆転サヨナラ満塁本塁打
2023年シーズン、セ・リーグは宮崎敏郎(DeNA)が打率.326、パ・リーグは頓宮裕真が.307で首位打者を獲得した。宮崎は2017年に続いて2度目のタイトルだが、過去には、首位打者を獲得する実力がありながら、2度にわたって僅差の2位で逃した選手もいる。阪急、オリックス、阪神、ダイエーでプレーした松永浩美である。【久保田龍雄/ライター】
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小倉工を2年で中退した松永は、1978年1月にドラフト外の練習生として阪急に入団。レギュラー定着をはたした4年目、82年5月15日の日本ハム戦で、NPB所属の日本人選手として史上初の1試合左右打席本塁打を記録し、強打のスイッチヒッターとして注目された。
翌83年8月31日のロッテ戦では、9回表に落合博満の左越え3ランで3対0と勝ち越され、「勝負あった」と思われたその裏、松永は1死満塁で、起死回生の逆転サヨナラ満塁本塁打を右越えに放ち、自らのバットで“伝説の名勝負”にケリをつけた。
さらに84年9月16日のロッテ戦でも、5対5の9回裏、左中間ラッキーゾーン越えまであと20センチというレアなサヨナラランニングホームランを記録。改めて“持っている男”を印象付けた。
3試合通算「11打席連続四球」
だが、そんな幸運児も、なぜか首位打者とはご縁がなかった。
最初のチャンスは、阪急最後の年となった1988年。パ・リーグの首位打者争いは、ロッテ・高沢秀昭が.327でトップ。松永が4厘差の.323で追っていた。
10月22日のロッテ戦、初回に右前タイムリーを放った松永は、第2打席でも二塁打を記録し、「.32712」の高沢にわずか8毛5糸差の「.32627」まで迫った。次の打席で安打が出れば、「.32769」で高沢を逆転する。
しかし、何としても高沢に首位打者を獲らせたいロッテ・有藤通世監督は、ここから松永を3打席連続で歩かせた。高沢はすでに最終規定打席に達しており、残り試合を休んでも大勢に影響はない。松永としては残り2試合で逆転したいところだが、皮肉にも2試合ともロッテ戦だった。
翌23日のロッテ戦ダブルヘッダー第1試合、松永はお約束のように4打席すべて敬遠された。第2試合も1回の第1打席から4打席連続敬遠。この結果、3試合通算11打席連続四球となり、1984年に阪神・掛布雅之、中日・宇野勝が記録した10打席連続四球のNPB最多記録を更新した。
そして、8回の5打席目も、ロッテバッテリーは初球から勝負を避けてきた。このままでは12打席連続四球が濃厚だった。
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