「小室圭さんのおかげでハードルが下がった」 悠仁さま、佳子さまの「お相手」はどう選ぶべきなのか

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「森の中に木を隠す発想」

 しかも早慶の交換留学制度を利用すれば、1年間の海外留学を含めても4年での卒業が可能である。早稲田はオックスフォード大学とも提携している。

 今上陛下の時代と違って、大学を卒業してから海外へというのでなく、20歳前後から世界の王室関係者との交流を深めるべきだし、お妃選びも早めにして皇位継承問題への不安解消に努めていただいた方が好ましい。

 ただ、いくら女子学生が多い大学に行ったとしても、ことは簡単でない。陛下は私より9歳年下であるが、私は霞が関にいたし、テレビなどでの言論活動もしていたから、リアルタイムでお妃選びがどう進んでいるか耳にすることが多かった。

 当時の学習院大学文学部教授の一人は、周囲の人々が殿下の周りを固めすぎて、学生食堂でも一般の学生は近づけず、オーケストラの仲間とか同じクラスの学生しか接触できていないと嘆いていた。

 大学以外でも出会いが限られていた。週刊誌に良家の容姿・知力に優れた女性が網羅的にお妃候補として報道されてしまって、出会いの場がつくれなかったと霞会館関係者が話していた。

 その反省の上に立ち、悠仁さまにはオープンに各種のパーティーなどに出席されて、たくさんの人と出会うべきだろう。あちこちに顔を出して、会ったくらいではお妃候補などと騒がれないような状況になればいい。それをある皇室ジャーナリストは、「森の中に木を隠す」発想であるべきだと表現した。

上皇陛下結婚の際の二人の候補

 上皇陛下の結婚の時は、まずは学習院女子部の同窓会である常磐(ときわ)会が推薦を出した。この時に、常磐会は守旧派的な人選をしたのではない。伝統的な旧皇族や旧公家・大名などを避けたがっているといわれていた皇太子殿下の希望も考慮して、二人の候補を推挙したといわれる。

 その一人が、堀内詔陽(のりこ)ワクチン担当相の伯母である三井(旧姓林)富美子(ふみこ)さんであった。父親は長州藩出身の伯爵で学者、母親は松濤幼稚園の創設者で牧野伸顕(大久保利通の次男)の孫だったから、新時代を考慮したものだった。

 ところが宮内庁が打診すると、林家ではすぐに見合いをさせ、三井家の男性と結婚させてしまった。

 そこで元慶應義塾長で皇太子教育係の小泉信三は、学習院にこだわらない方針に転じ、すでに皇太子殿下と面識があったものの、周辺に華族や学習院関係者がおらず、またカトリック系の聖心女子大出身ということで、もともと候補とは考えられていなかった正田美智子さんに照準を絞り、婚約をまとめた。

 主要女子大に推薦を求めたら、たまたま聖心女子大から出てきたのが、美智子さまだったとされているが、これは小泉氏が仕組んだのかもしれない。

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