「差別された時代も…」「純粋さが部員に伝わる」 「留学生ランナー」は箱根駅伝の歴史をどう変えたか
純粋さがほかの部員にもいい影響を
だが現在のように五輪や世界選手権でメダルを獲得するレベルの選手が実業団に入ってくる中で、留学生の立場も変わってきた。12年から10年間、仙台育英高で留学生を指導した経験を持つ大東文化大の真名子圭(きよし)監督は、
「僕が高校に入学する2年前から高校でも留学生が入部するようになったが、当時は違和感を持っていました。でもホンダ入社後、仙台育英からやってきたサムエル・カビルと接し、彼が抱えている苦悩を知って自分も勉強になった」
と言う。
「僕が仙台育英で監督をやり始めて思ったのは、以前と違って本国でのランクが低めの子しか来ないことです。でもみんな“日本で頑張れば実業団へ行ってお金を稼ぐことができる”と言われて送り出されている。大学進学を勧め、“4年間頑張ったら実業団に行ける”と言っても、ほとんどが実業団へ行くために来たんだ、という感じで納得しなかったですね」
それでも純粋さには感動したと言う。言葉も通じず親しい人もいない日本で3年間暮らすのに、リュックサックひとつで来る。お金を大事にし、もらった小遣いでコンビニのアメリカンドッグを買って食べることが唯一の楽しみという選手もいた。その純粋さが他の部員にもいい影響を与える。同学年の日本人選手と仲がいいときはチームがうまくいったという。
「ただの助っ人として扱うのではなく、大事にする」
指導した留学生はみな卒業後も陸上を続けられたが、一番苦労したのは真名子が就任する1年前に大東文化大に入ったピーター・ワンジルだった。彼は仙台育英高時代は1学年上と下に力のある選手がおり、全国高校駅伝で2年の時に3区を走ったものの、区間1位に1分以上遅れる5位に甘んじた。高校卒業時はタイミングよく実業団のコモディイイダが留学生を探していて入れたが、3年でチームを去ることに。
そんな時に大東文化大からチーム改革のために「日本人と同レベルで、日本の文化に慣れた留学生選手を」と相談され、真名子がワンジルを推薦した。
「1年目はチームに溶け込めずまったくダメだったんです。でも日本人と一緒に練習させるようにして良くなってきた。それが絶対に競技力につながるとはいえないけど、うちが今後も留学生を起用していくのであれば、ただの助っ人として扱うのではなく、大事にしていかなければいけないと思います」
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