【追悼・寺尾】「ビニール製の間仕切りを抱きしめて泣いていました」阿炎の優勝をたった1人病室で…相撲と弟子を愛し抜いた「土俵の鉄人」

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 昨年12月17日、都内の病院で死去した元関脇・寺尾の錣山親方。亡き母の旧姓「寺尾」を背負って角界入りした井筒三兄弟の末弟は、39歳まで現役を続けた「土俵の鉄人」だった。そして引退後は、2004年に開いた錣山部屋で多数の名力士を育てた名伯楽に。2022年の九州場所で優勝を果たした阿炎(あび)も愛弟子の1人である。コロナ禍での出場停止処分を経て優勝に至った道には、錣山親方との固い絆があった。

病室で見守った愛弟子の優勝

 2022年の大相撲九州場所は、錣山部屋所属の平幕・阿炎が、優勝戦線トップを走る2敗の高安(「高」ははしごだか)を1差で追い、千秋楽を迎えた。

 本割で組まれた阿炎-元大関・高安の取組は、突き倒しで、阿炎の勝利。結びで大関・貴景勝が3敗を守ったため、3人による優勝決定戦に持ち込まれた。

 優勝決定戦1戦目は、阿炎-高安。一瞬の叩き込みで元大関を退けた阿炎は、貴景勝との2戦目へ進む。渾身の力を発揮した阿炎は、一方的に貴景勝を押し出す。その瞬間、阿炎の初優勝が決まった。

 弟子の晴れやかな舞台を、錣山親方(元関脇・寺尾)は東京の病室のテレビで見届けた。

「病室には自分1人しかいませんでした。取組が進むにつれて、心臓がバクバクしてきて……。優勝を決めた瞬間、普通なら部屋の誰かがそばにいて、喜びを分かち合えたのでしょうが、それもできない。何か抱きつくものがほしかった私は、病室のビニール製の間仕切りを抱きしめていたんです(笑)」(錣山親方、以下同)

 退院した錣山親方は、こう言って目を細めた。

出場停止処分を受けて奮起

 入門時から有望視されていた阿炎に対して、錣山親方は他の弟子以上に厳しく接した。その結果、阿炎は入門からわずか11場所で、新十両に昇進。そのタイミングで、四股名を阿炎にあらためたのだが、「あび」とは錣山親方の幼少時からのニックネームでもある。

 錣山親方の思い入れはひとしおだったものの、阿炎の出世はトントン拍子とは行かず、その後、幕下で低迷する時期が続いた。

 18年一月場所で新入幕を果たして、敢闘賞を受賞。同年夏場所、横綱・白鵬から金星を奪った時は、殊勲インタビューでVサインをするなど、奔放な愛弟子は錣山親方に冷や汗をかかせることも多かった。

 そして、20年には新型コロナウイルス感染防止におけるガイドライン違反で出場停止処分を受け、幕下まで番付を下げる。

「全協会員が外出を我慢している中、阿炎の取った行動は許せなかった。だから私は、相撲協会に引退届を出しにいったのです」

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