巨人V9達成の陰で…本当に起きていた「長嶋茂雄」襲撃未遂事件の一部始終
「川崎の高津さんからお電話ですよ」
逮捕後、主犯の男は「長嶋選手なら自宅に100万や200万の現金があるはずなので、強盗を思い立った。家に押し入ってからは、子供を含めて殺さない程度にケガをさせても構わないと思っていた。1人あたり30万円は手に入るはず」と自供した。
1973年は大卒初任給が6万2300円。これを基準に30万円を現代の価値に換算すると、2.5倍くらいになるが、金額自体が想像の域を出ない“机上の計算”であり、現実味に乏しい印象を受ける。
当時作家の寺内大吉氏は「結局彼らの目的は金ではなく、長嶋という有名スターをダシにして、世間をあっと言わせることではなかったのかな」と、“自己顕示欲の強い若者たちの暴走”に警鐘を鳴らしている。
一方、遠征中の広島の旅館で犯人逮捕の知らせを受けた長嶋選手は、お手伝いさんが咄嗟の機転で警察署の名を伏せて、「川崎の高津さんからお電話ですよ」と取り次いだところ、「高津さん?そんな人知らないな。用件を聞いといてよ」と答え、署員をうろたえさせるひと幕もあった。
「いやー、まったくラッキーでした」
署員から事件を知らされると、「いやー、まったくラッキーでした。警察から電話で知らされて、初めて狙われていたことを知りました。先月26日、後楽園からの帰りに車でつけられていたことは、全然気がつきませんでした。気づいてへたに犯人を刺激しなかったのが幸いだったようです」と驚きつつも、安堵した様子だった。
さらに「有名人のリストを作って、計画していたとのことですが、僕が(有名人のトップで)最初に狙われたのは、光栄と言うべきですかね。それにしても、怖い世の中ですね。ペナントレースの追い込みの大事なときに、けがでもさせられてはたまりません」と警戒心を深めていた。
1967年の日本シリーズの最中にも、自宅に強盗が押し入り、夫人が手首を負傷した事件を機に、警備保障会社に依頼し、常時自宅を警備してもらうなど、当時からセキュリティー強化に努めていたミスター。第1期巨人監督退任後の1990年にセコムのCMに出演して以来、同社のイメージキャラクターを続け、東京ドーム右中間席に長嶋氏の大看板がお目見え。「セコムしてますか?」のセリフも、すっかりおなじみになった。
このように長年にわたって警備会社の広告塔を務めたのは、自身の体験に基づくものと解釈するのは、うがち過ぎだろうか……。
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