巨人V9達成の陰で…本当に起きていた「長嶋茂雄」襲撃未遂事件の一部始終

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後楽園からミスターを尾行

 1973年は、川上哲治監督率いる巨人が前人未到の9年連続日本一(V9)を達成した年として多くの野球ファンに記憶されている。そして、同年は、シーズン終盤の阪神との熾烈なV争いの最中に、強盗5人組による「長嶋茂雄三塁手襲撃未遂事件」というショッキングなニュースも報じられている。【久保田龍雄/ライター】

 1973年10月5日、神奈川県警川崎高津警察署は、長嶋選手襲撃を企んだ労務者の24歳の男と同、22歳の男、無職の16歳の少年の3人を強盗予備の容疑で逮捕した。

 調べでは、主犯の24歳の男は同年8月、「金が欲しい。有名人を襲って金を取ろう」と22歳の男らに持ちかけ、25歳のパン製造会社従業員、工員の19歳少年(2人は10月7日に同容疑で逮捕)の計5人で長嶋選手を襲撃する計画を立てた。

 計画は、試合が終わったあと、車で帰宅する長嶋選手を尾行。自宅近くでわざと車をぶつけ、降りてきたところをロープで縛り上げて家に連れて行き、家族たちの前で包丁をちらつかせて、現金を脅し取るというものだった。

 9月中旬に2度にわたって後楽園から長嶋選手を尾行し、車種やナンバーを特定。道順や帰宅に要する時間も調べ上げた。

 そして、後楽園で中日戦が行われる9月26日を犯行日に決め、午後9時15分に試合が終わると、同10時ごろ、ひと風呂浴びて、トヨタセンチュリーで帰宅の途につく長嶋選手を追った。

身を助けた“勘ピューター”

 ところが、彼らの計画は、想定外の事態に直面し、狂いが生じてしまう。自宅付近の中原街道が工事で片側通行になり、渋滞しているのに気づいた長嶋選手は、突然思い立ってハンドルを右に切ると、抜け道に入っていったのだ。この“勘ピューター”とも言うべき臨機応変の行動が、結果的に身を助けることになった。

 5人組は長嶋選手を見失ってしまったばかりでなく、自宅の所在地すらわからず、右往左往し、結局、襲撃を断念する羽目になった。

 2日後に逮捕された運転手役の25歳の店員は「何も知らないうちに事件に巻き込まれていた。(長嶋選手の)車に追突しろと命じられたので、断った」と証言しているので、この犯行寸前の“内輪揉め”も、ターゲットを見失うひとつの要因になったと考えられる。

 その後、彼らは10月9日の阪神戦で再度犯行を計画したが、この日は試合がなく、阪神戦は10、11日の2日間であることがわかった。しかも、両日ともデーゲームなので、ナイターと違って犯行には不向きだった。

 といった具合に、杜撰なミスが相次いだことから、当時の新聞も「かなり間抜けなもの」と評している。

 そうこうしているうちに、「1度失敗して怖くなった」19歳少年が10月5日、自身を除外した“4人組の犯行計画”を警察に通報したことで、事件が発覚した。

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