沢尻エリカは舞台「欲望という名の電車」で2月に復帰 演劇記者は「大変な作品を選んでしまった」「杉村春子や大竹しのぶに挑むわけですが」

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名優ジェシカ・ダンディがブランチを演じた理由

 では肝心の『欲望という名の電車』とは――。

「戦後2年目の1947年に、ブロードウェイで初演されました。舞台はアメリカ南部ニューオリンズの貧しい地域にある借家。全11場、すべてがこの室内で展開します。そこへ、かつて大地主の娘で、いまは未亡人となっている高校教師のブランチ・デュボア(沢尻エリカ)がやってきます。劇中では自らを27歳だといっています。夫の死後、何か事情があったようで、休暇をとって、妹のステラ(清水葉月)を訪ねてきたようです」

 ブランチは、白いスーツに白手袋で、いかにも清楚な元お嬢様といった様相で登場する――《まるで郊外の高級住宅地でもよおされる夏のティー・パーティーかカクテル・パーティーに招(よ)ばれてきたかのようである》(小田島雄志訳、新潮文庫版より/以下同)。

「ところが、狭い家のなかに3人が寝起きするのだから、とにかく息苦しい。妹ステラの亭主で粗野なスタンリー(伊藤英明)は、いらついてくる。やがてこのスタンリーが、ブランチの身の上を調べて、暴露し始めるのです。ここからが見どころです。実はブランチの実家は破産して、もう人手に渡っていました。死んだという夫は同性愛者で、それを知られたことに起因するピストル自殺でした。ブランチは酒浸りとなり、17歳の男子生徒に手を出してクビになっていた。挙げ句の果て、乱れた生活で地域の有名人となってしまい、地元にいられなくなって、妹のもとへ逃れてきたのです。いまの姿を見破られたブランチは、次第に精神を病んでいきます」

 つまり、この芝居は、前半は清楚なお嬢様が、後半で化けの皮をはがされ、病んでいくところが見ものなのだが――。

「ここが難しいところです。いまのブランチは身を落としているものの、本来は大地主のお嬢様だったわけです。そもそも彼女の姓“デュボア”は、フランス系の良家を思わせる名前です。つまり、沢尻エリカは、“本物のお嬢様が身を落とさざるをえなくなった”演技をしなければならない。最初から妖しい雰囲気を醸し出しては、いけないのです。お嬢様が次第に変容し、徐々に精神を病んでいく難役なのです。そのことは、ブロードウェイ初演を演じたのが、ジェシカ・タンディであったと聞けば、わかるでしょう」

 ジェシカ・タンディ(1909~1994)は、1989年、80歳のときに映画『ドライビング Miss デイジー』で史上最高齢のアカデミー主演女優賞をとった演技派の大女優である。

「彼女はイギリス最古の名門スクール出身で、若いころはロンドンでシェイクスピア劇に多く出演する舞台女優でした。アメリカに渡ってからは、『旅愁』『鳥』などの映画で、まじめな母親や妻役を得意とするようになります。つまりブランチに起用されたのは、演技力のみならず、持ち前の“清楚な魅力”を買われたのです。ウィリアムズ自身も回想録で《即座に、ジェシカこそまさにブランチだと私には思われた》と述べています。そのジェシカが体を売る女性のように身を落とす――初演時の観客は息を呑んだことでしょう。彼女はこの演技で、トニー賞主演女優賞を獲得しています」

 ジェシカは、1947年の舞台初演時すでに38歳で、映画化の1951年のころには40歳を過ぎていた。そこで映画では、いま少し若いヴィヴィアン・リーが起用されたのだった。彼女は『風と共に去りぬ』で、“南部の大地主のお嬢様”を演じている。だからブランチ役は、ヴィヴィアンにとっては“得意役”ともいえたのである。

日本では誰が?

 では、沢尻エリカが初舞台で挑むこのブランチ役、日本では、どんな女優が演じてきたのか。

「日本でブランチといえば、文学座の大女優、杉村春子(1906~97)です。1953(昭和28)年の日本初演以来、594回演じています。いかにも楚々とした感じで登場し、次第にイライラしはじめ、目じりが吊り上がりはじめる。あの鬼気迫る演技は、いまでも忘れられません。早口の長セリフやヒステリーのシーンでもよどむことなく、言っていることがキチンとわかった。最後の上演は1987年、文学座創立50周年記念公演でした。このとき杉村は81歳! さすがに衰えていましたし、金髪のかつらで27歳を演じているのもすごい光景でした。しかし、追い詰められるブランチの姿が、老年に達した杉村の内面と重なって、異様な迫力があったことはたしかです」

 その後、多くの女優がブランチに挑んできた。

「話題となった舞台だけでも、水谷良重(現・二代目水谷八重子)、岸田今日子(演劇集団円)、東恵美子(青年座)、栗原小巻(俳優座)、樋口可南子、浅丘ルリ子、大竹しのぶ、高畑淳子、秋山菜津子……女形俳優だった篠井英介も演じています。著作権者から許可が出ず、数年越しの交渉で実現させた執念の舞台でした。そして本家・文学座は、昨年、山本郁子のブランチで、杉村春子以来35年ぶりに『欲望』を再演して話題となりました」

 このなかで印象に残るのは、やはり大竹しのぶだという。

「彼女は、2002年(蜷川幸雄演出)と、2017年(フィリップ・ブリーン演出)の2回、演じています。最初、彼女特有の童女みたいな雰囲気で登場し、次第に狂気を帯びていく様子は凄まじいものがありました。実はブランチは、最後の方でスタンリーに暴行されるのです。映画ではそれを匂わせる演出でごまかされていますが、原作戯曲には《彼女はがっくり膝をつく。スタンリーは動かなくなった彼女のからだをかかえあげ、ベッドへはこぶ》と、はっきり書かれています。このときの大竹の、魂がどこかへ飛んで行ってしまったような虚ろな目は、ゾッとするものがありました」

 この、映画ではカットされた暴行シーンをどう見せるかは演出家の腕の見せ所だという。

「ほとんどは、ベッドに運ばれるシーンで暗転となります。ところが、昨年の文学座公演(高橋正徳演出)では、紗幕越しながら、ベッドの上でブランチ(山本郁子)が暴行される様子をかなりリアルに見せて、ちょっとびっくりしました」

 今回の演出は、劇作家でもある鄭義信〔チョン・ウィシン〕。黒テント、新宿梁山泊出身で、名作『焼肉ドラゴン』で演劇賞を総なめにした。映画脚本家としても知られ、『月はどっちに出ている』『愛を乞うひと』『血と骨』なども数々の脚本賞を受賞している。

「パワフルに生きる在日コリアンの姿を描かせたら、鄭義信の右に出るものはいません。沢尻エリカの出世作は、映画『パッチギ!』(井筒和幸監督、2005年)における在日コリアンの少女役でしたから、なんとなく通底するものを感じないではありません。しかし彼女は、とにかく舞台経験がないわけです。おそらく鄭義信に、徹底的に鍛えられるでしょう」

 しかも今回の翻訳台本は、小田島恒志訳。

「長年、名訳として知られた新潮文庫版の小田島雄志先生の次男で、いま日本でもっとも多忙な戯曲翻訳家です。今回は、その恒志さんが、かつて大竹しのぶのために訳し下ろした新訳が使用されます。いわば、沢尻エリカは、杉村春子と大竹しのぶに挑むわけです。それだけに、いままでの彼女の言動や仕事ぶりからして、正直なところ、千秋楽までまっとうできるのか、不安を覚えないでもありません」

 大阪公演も含めて全18ステージ。商業演劇としては決して多い公演数ではないが、マチソワ(1日2回公演)も6日ある。東京公演の会場は、名門、新国立劇場・中劇場だ。すでに前売りは、発売と同時に“秒殺”で完売した。

「最後、ブランチは精神病院に運ばれていきます。そのときの虚ろなことばは、演劇史に残る名セリフとして知られています。いまになると、まるで沢尻エリカのために書かれたかのようです。それは――」

《どなたかは存じませんが――私はいつも見ず知らずのかたのご親切にすがって生きてきましたの》

 初日は2月10日。休憩を含めて約3時間の芝居である。
(敬称略)

デイリー新潮編集部

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