仲間16人と谷中の寺に立てこもり…期待の力士「天龍」はなぜ廃業し、プロレス入りしたのか

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プロレスの世界でこれまでとは違う自分に

 そんな時だった。全日本プロレスのジャイアント馬場の知人から、プロレス入りの勧誘を受けたのは。相撲を辞めたとしても、「プロレスラー」という選択肢はまったくなかっという天龍。それまでプロレス観戦をしたこともなかった天龍は、レスラーの名前はおろか技の名前すら知らなかった。

 その後、ジャイアント馬場から直接くどかれた天龍は、一気にプロレス入りへと傾いていく。

「相撲界にいた13年間、たしかになんとなく楽しかったけれど、自分は一生懸命相撲を取っていないんじゃないか? という気持ちが常にあった。現状に満足していて、向上心もまるでなかった。甘えていたということに気付いたんです。馬場さんにお会いして、もしかしてプロレスの世界に入ったら、これまでとは違う自分になれるんじゃないかと思ったんです」

 と、天龍。新天地で生まれ変われるかもしれない。一筋の光が見えてきた瞬間だった。

人生訓は「今日を生きる」

 さまざまな人の計らいで、リングネームは現役時代の四股名、天龍をそのまま使えることになった。

 全日本プロレスに入った天龍は、アメリカへ武者修行に出るなど、プロレスラーとしての基礎固めに励んだ。しかし、日本のマットで活躍できるようになったのは、30歳を過ぎてからのことで、以来「けっして手を抜かない」天龍のファイトスタイルは、多くのファンの心をつかんだ。

「相撲に一心不乱にならなかった分、プロレスの世界では自分の限界までやってみようと思ってね」

 今日を生きる。

 これが天龍の人生訓だ。今日を一生懸命生きられない者は、明日を語る資格がないし、将来もない。今日を生き続けた天龍だから、語れる言葉である。

武田葉月
ノンフィクションライター。山形県山形市出身、清泉女子大学文学部卒業。出版社勤務を経て、現職へ。大相撲、アマチュア相撲、世界相撲など、おもに相撲の世界を中心に取材、執筆中。著書に、『横綱』『ドルジ 横綱朝青龍の素顔』(以上、講談社)、『インタビュー ザ・大関』『寺尾常史』『大相撲 想い出の名力士』(以上、双葉社)などがある。

デイリー新潮編集部

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