仲間16人と谷中の寺に立てこもり…期待の力士「天龍」はなぜ廃業し、プロレス入りしたのか
プロレス界における日本ならではの特色といえば、大相撲出身者あるいは相撲経験者が多いこと。スターとなったプロレスラーも多く、古くは力道山、近年ではやはり2015年11月に65歳で引退した天龍源一郎だろう。あくなきファイティングスピリッツでファンを魅了し続けた天龍だが、プロレス入りに至るきっかけの1つは力士時代の“ある騒動”だった。それでも「相撲こそが俺の原点」と語る天龍の力士時代とは? ※双葉社「小説推理」2010年2月号掲載 武田葉月「思ひ出 名力士劇場」から一部を再編集
【写真】プロレスラー・天龍の左腕を“破壊”した「地味な選手」 いぶし銀のテクニックの持ち主と言われる男とは
「こんなに長くプロレスをやるとは」
天龍源一郎。
この名前を聞けば、多くの人はリング上で暴れまくるプロレスラー・天龍源一郎を思い
浮かべることだろう。
全日本プロレスを皮切りに、SWS、WARなどの団体を引っ張り、65歳まで現役レスラーを続けた。そのファイティングスピリッツはどこからやってくるのだろうか?
力士時代の天龍は26歳という若さで廃業している。
「力士として過ごした13年より、はるかに長い時間レスラーなわけだからね。しかし、俺自身、こんなに長くプロレスをやると思わなかったなぁ。時間は短かったけど、相撲こそが俺の原点だと思っているんだ」
天龍はこう振り返る。
大男だらけの相撲部屋がパラダイスに
二所ノ関部屋に入門したのは、中学2年、13歳の時だった。
当時すでに180センチ近い体格を誇った嶋田(本名)少年。父親が近所の人に「ウチの息子は体が大きいよ」と言ったことがきっかけで、夏休みを利用して、二所ノ関部屋へ体験入門することになった。
大男だらけの相撲部屋。しかし、嶋田少年にとって、そこはパラダイスだった。何かと厳しかった父親から離れての生活、同世代の部屋の力士たちも優しく居心地がよかった。夏巡業に行っていた大鵬ら兄弟子が、帰京するまでは……。
兄弟子が帰ってきてから、生活が一変。朝3時半に起こされて、めいっぱい稽古させられる毎日となった。
普通なら、そこで嫌気がさすものだが、どういうわけか「これが相撲部屋っていうものなんだなぁ」と感動し、相撲部屋が大好きになってしまったというから、わからない。
晴れて入門となったのは、翌年の初場所。16歳で早くも幕下に上がったが、そこから十両への道は険しかった。
「幕下に上がると一目置かれるし、兄弟子気分になって安心しちゃったんだね。稽古は厳しかったけど、遊びのほうもいろいろとね(笑)」
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