「箱根駅伝中継」はかつてテレ東が放送していた…お正月の超人気番組に育てた日テレ“驚異の演出力”とは
変化に富んだ映像、日本人の学生スポーツ好き
日テレの元スポーツ局員は「箱根駅伝中継はもともと条件に恵まれている」と語る。
「コースが、都心から横浜、湘南、小田原、箱根と日本有数のメジャーなルートですから。富士山が映るところもお正月らしい。映像が変化に富んでいる。これ以上の演出はありません」(同・元スポーツ局員)
社会人のトップランナーたちが元日に力走する「ニューイヤー駅伝」(TBS)が、どうして箱根駅伝中継ほどの視聴率が獲れないのかという声がよく上がる。確かに2023年は個人6.7%(11.7%)に過ぎず、大差が付いた。理由の1つは「コースにある」(同・元スポーツ局員)という。
「『ニューイヤー駅伝』は前橋や高崎、伊勢崎など群馬県内を走る。地元の人以外にはなじみが薄い」(同・元スポーツ局員)
学生が走るというのも大きい。日本人は伝統的に学生スポーツが好きだ。甲子園での高校野球、高校サッカー、東京6大学野球、大学ラグビー。金のために競技をするプロと違い、学生は無垢だと思っているからだろう。だから日大アメフト部の大麻事件などが起こると、余計に落胆する。
もともと正月の視聴環境に向いているという面もある。正月は家族、親戚、友人らとテレビを観る機会が多いが、その時の番組はバラエティやドラマの再放送では不向き。雑談すると、内容が分からなくなるからだ。一方で箱根駅伝中継は語り合いながらでも 観られる。
名物コーナー「今昔物語」誕生秘話
もちろん、日テレの演出力がなかったら怪物番組にはならなかった。スタッフたちが作り上げた名物コーナー「今昔物語」はファンが多い。過去の選手や指導者、チームが約3分で紹介される。
1939年に召集令状を胸に走った学生、1954年に最終10区の選手が意識朦朧となると、伴走車から飛び降り、「都の西北」を歌いながら選手と並走した早大の故・中村清監督、1959年から64年までの中央大の6連覇。箱根駅伝の重く長い歴史が分かる。
もっとも、このコーナーは苦肉の策として生まれた。200キロを超す距離と800メートル以上の高低差があるコースは選手たちにとって過酷だが、スタッフにとっても同じ。生中継は容易なことではない。電波が途切れてしまった時に流すため、今昔物語のコーナーは生まれた。
[2/4ページ]