最後まで渥美清さんの真似だけはできなかった…俳優生活60年「前田吟」が語る「仁義なき戦い」「八甲田山」「寅さん」

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「男はつらいよ」の博

 最後に「男はつらいよ」である。この現場でも、渥美清とは撮影以外で会話はほとんどしなかったという。

「そうしないとね、毎回必ずある博の『兄さん、お帰りなさい』のセリフが自然にならないんですよ。『おう博! 工場はどうだ? 相変わらず払底しているか?』と寅さんが返す。久しぶりに会ったという、あのやり取りに自然な感じが出ない」

 渥美の凄さは、本読みの段階から発揮されていた。前田ら主要キャストは台本を見ながらセリフを合わせていくが、渥美の頭の中には完璧に台本が入っている。そこでやり取りをしていくうちに、渥美の面白いアドリブがあると、山田洋次監督がその場で書き加えていく。

「渥美さんは喜劇だけでなく、色々な監督に呼ばれ、重厚な役までなんでもこなした方ですよ。現場は常に緊張感があって、シーンとしていました。寅さんを見ると、さぞや楽しそうに撮影していたんだろうなと思う人は多いかもしれませんが、とんでもない。シリーズ50作ですか。普通なら、途中で変わりますよね。でも、幸いに最後まで博を演じることができたのは幸せです。ただ、少しだけ本音を言うと、博も独立したり、もっと給料のいい会社に転職したりするとか、男の生き様として、もっと動きがあってもいいのにな、と思ったことはありました。でも逆に考えると、博の役はきちっとやって、他の作品で色々な役をやりなさいと山田監督は言ってくれているんじゃないかと考えるようになったんです」

 既に述べた2つの映画の他、映画では「看護婦のオヤジがんばる」(1977年)で主演。また、ドラマ「積木くずし・親と子の200日戦争」は最終回は45.3%という、当時では驚異的な視聴率を記録した。NHK大河ドラマはもちろん、テレビ朝日系で情報番組の司会を務めたことも。

「僕は山田組に呼ばれた時に、心に誓ったんです。とにかくこの現場はしっかり仕事をしようと。そうすれば役者でやっていけるはずだと。その通りになりました。ただ、他の作品に出て面白いキャラクターを作るでしょ。それで寅さんに入って、博に戻るのが辛い時もありましたよ(笑)。でも、どんな時代のどんな人物でも演じられるのがこの仕事のいいところです。いい俳優さんもどんどん出てくるし、いまでもホッとするとか、安心することはありません。常にマラソンの先頭集団で走り続けていたいと思います。2年前に再婚した妻のおかげで、私生活も充実していますしね。本当に有難いことです」

「貧乏はするものではない、味わうものだ」とは古今亭志ん生の名言だが、前田の人生もまさにそうではないか。80歳の名優は、今年以降も、見る者に感動を与える味のある演技を見せ続けてくれるだろう。

前編【俳優生活60年「前田吟」の告白 実母に二度捨てられた孤独な幼少期、自分で飼った鶏の卵を1個7円で売っていた極貧生活とは】からのつづき

前田吟(まえだ・ぎん)
本名・前田信明。1944年2月21日生まれ。高校中退後、様々な職を経て俳優を目指し上京。63年、俳優座養成所入り(15期生)。65年テレビ「純愛物語」(TBS系)で主役に。映画は68年の「ドレイ工場」をはじめ「男はつらいよシリーズ」(1969~)、「故郷」(1972)、「仁義なき戦い・広島死闘篇」(1973)、「八甲田山」(1977)、「看護婦のオヤジがんばる」(1980)、「マークスの山」(1995)、「パッチギ!」(2004)。テレビドラマは「竜馬がゆく」(NHK、1968)、「積み木くずし・親と子の200日戦争」(TBS、1983)、「渡る世間は鬼ばかり」(同、1990~)、「功名が辻」(NHK、2006)など多数。他に舞台や情報番組の司会も。22年6月に再婚した歌手・箱崎幸子とのデュエット「凪の風景」も話題に。

デイリー新潮編集部

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