おとうちゃんの死後、大屋政子のミニスカートの丈は何故どんどん短くなったのか
打算的な一面と、子供のような無邪気さ
法得寺にある「大屋家之墓」の墓誌には、政子が受章したすべての勲章の名が刻み込まれている。遺言ではなく、登史子が彫らせたものである。
「生前は、勲章や名誉を自慢する母の気持ちが理解できませんでした。でも、亡くなって初めて母の偉大さがわかったんです。墓誌に刻んだ数々の勲章は母の生きた証でもあるんです。人が決して真似の出来ないような人生を歩んだ母は、やっぱりすごい人でした」
戒名 霊山院殿往詣妙晋日政清大姉
法得寺の土井兼廣住職がいう。
「晋三さんの戒名は『鷲峯院殿清明日晋大居士』といいまして、お釈迦様が法華経を説かれた霊鷲山に、おふたりでお詣りして戻ってこられますようにという願を掛けています。いまごろは“あちら”で晋三さんと仲良うやっとられるんじゃないでしょうか」
打算的な一面を持つ一方で、政子には子供のように無邪気なところがあった。それが彼女の不思議なところでもあり、また魅力でもあったといえる。
天真爛漫な女傑――そう呼ぶにふさわしい78年間の生涯であった。
前編「【大屋政子の壮絶人生】幼少期の悲惨体験、父親の墓前で誓った敵討ち…極度の人間不信がもたらした尋常ならざる金銭への執着」からのつづき
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