米国が「名官房長官」と信頼を寄せた「細田博之氏」、最大派閥の会長として「恩を着せずに若手を育てた」【2023年墓碑銘】

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 長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年11月23日号掲載の内容です)

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 10月まで衆議院議長を務めていた細田博之氏は、本来、ニュースに取り上げられるタイプの政治家ではなかった。役割は果たすが、地味。手柄話もしないのだ。

 その姿は父親で防衛庁長官や運輸大臣を歴任した細田吉蔵(きちぞう)氏と重なる。吉蔵氏が2007年に94歳で他界した際、政治評論家の俵孝太郎氏は本欄の取材に、〈実力があるのに自己宣伝や猟官運動をせず、学究肌なところは、長男の博之さんも似ています〉と語った。

 改めて俵氏に聞くと、

「おやじさん以上に博之さんは能吏でインテリ。知性と人情が備わっていた。職務として当然のことをしてきたとの思いから、くどい話し方や説明もしなかった」

 1944年、島根県松江市生まれ。現在の筑波大学附属駒場中学・高校から東京大学法学部に進み67年に通商産業省に入省。ワシントンでの勤務経験により米国通となる。86年に退官し父親の地盤を継ぐ。90年の衆院選で自民党から出馬して初当選。以来当選11回。

 細田氏と40年以上も家族ぐるみの付き合いがある、国際関係学研究所の所長、天川由記子氏は言う。

「6カ国協議で米国の政府代表を務めたジェームズ・ケリー国務次官補らが、03年、小泉政権の官房副長官に就いた細田さんに会いたいと言ってきました。初対面の冒頭、細田さんは“私がどういう考えの持ち主か調べにきたんでしょう”と米国側に言い、5分間話しました。通訳なしで北朝鮮の核開発の現状を具体的、詳細に解説。ケリー氏は細田さんの知識と分析力に驚いた」

ライス国務長官からも信頼

 翌年、官房長官に就任し、米国にさらに尊重された。

「細田さんが核に詳しいなど当時報じられていません。通産省の官僚時代からエネルギー問題に長けていたのですが、これをチャンスに自分の名を売ろうとしない。6カ国協議では拉致問題も取り上げるよう米国に主張しています」(天川氏)

 細田氏は米国に譲歩せず、主張した。嫌がられるどころか、英語で率直に議論できる相手として、ライス国務長官からも信頼された。

「間違いなく歴代一の名官房長官だと米国側に見なされています」(天川氏)

 08年、麻生政権で自民党幹事長、安倍政権下の14年に清和政策研究会(現・安倍派)の会長に。21年まで党内最大派閥をまとめた。

「相手が困っていることに気が付く人です。恩を着せることなく若手議員を育てた。怒らず、こうしてみればと諭すように話す。調整能力があった」(天川氏)

 政治評論家の屋山太郎氏は言う。

「策略をめぐらすことはなく、敵はいない。だが、いざという時、捨て身で尽くしてくれる人を握っていない」

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