人気大関「朝潮」の「高砂親方」、裏表のないおおらかな性格が生んだ「希代の悪童横綱」【2023年墓碑銘】

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繊細な心を持った闘将

 朝青龍は03年、横綱に。以前からの素行の悪さは、一層問題視され、親方の対応も問われるようになる。

 07年、療養のためモンゴルに帰国する朝青龍に同行、行動に全責任を持つと神妙に話していたのに数日で日本に戻ってきた。朝青龍の療養先の温泉について、記者会見で「肌がツルツル」と感想を語り、「ダブルアーチの虹を見た」などと場違いな発言までして、記者は騒然。あまりにも深刻な雰囲気に、親方は笑いを取らねばと思ったという。

 朝青龍が10年に泥酔して暴力事件を起こした際には、もうかばうことはなかった。それでも断髪式では親方として丁重に見送っている。

 親方は稽古中にスポーツ新聞を隅々まで読み、弟子に声をかけることはほとんどなかったという。良い意味での放任主義で、朝青龍にはこのおおらかさが合ったが、増長を許したのだ。

 朝青龍の引退騒動後に近畿大学の後輩にあたる朝乃山を大関昇進に導いた。

 20年、65歳の定年を迎え、弟子の朝赤龍が高砂部屋を継ぐ。再雇用制度で参与として相撲協会に残るが、協会の規定に反してコロナ禍で外食を繰り返していたことが発覚。21年に身を引く。

 11月2日、小腸がんのため67歳で逝去。訃報は大きく伝えられ、陽気な性格が強調されていたが、実は繊細な心を持った闘将だった。

デイリー新潮編集部

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