人気大関「朝潮」の「高砂親方」、裏表のないおおらかな性格が生んだ「希代の悪童横綱」【2023年墓碑銘】
長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年11月16日号掲載の内容です)
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大相撲の元大関朝潮こと先代の高砂親方。額の上部、髪の生え際に近い部分に傷痕がある。立ち合いの「ぶちかまし」で相手に激しくぶつかり、流血を何度も繰り返した名残りである。
相手を見据えて角度をつけて額から突っ込んでいく。恐怖感をおぼえるはずだが、「額から血が出る時は調子がいい」などと語っては周りの笑いを誘っていた。
憎らしいほど強いと言われた横綱北の湖を相手に、不戦勝1回を含む13勝7敗と強さを発揮。これも豪快な「ぶちかまし」の威力だ。
丸っこい顔に身長183センチ、体重約180キロの大きな体。陽気でよく喋り、愛嬌(あいきょう)と華やかさがある。ファンに「大ちゃん」の愛称で呼ばれ、漫画のモデルにされるほど広く親しまれた。
だが、のんびりした性格は、親方になってから裏目に出てしまう。横綱になった弟子の朝青龍の品格が問われ、指導が不行き届きだと矢面に立たされたのだ。
1955年、高知県の佐喜浜町(現・室戸市)生まれ。本名は長岡末弘。父親は捕鯨船で砲手を務めていた。中学校から相撲を始め、県立高知小津高校から近畿大学に進む。教師か銀行員になることも考えていた。
大学時代に学生横綱とアマチュア横綱を2年連続で獲得。多くの部屋に勧誘されながら高砂部屋を選んだのは、いじめられにくい環境と感じたからだとか。
個性をよく見極めていた
78年春場所で幕下付け出しで初土俵を踏む。幕下、十両を各2場所で通過するスピード出世を果たした。
相撲ジャーナリストの杉山邦博さんは振り返る。
「大学時代から見ていますが、けれん味のない相撲を貫いていた。駆け引きせず素直にまっすぐ立ち向かうのです。性格も同じで裏表がない。含みのある表現はせず、思ったことをズバリ言う。新しいタイプでしたね」
関脇だった83年初場所で、北の湖、若乃花(2代)、千代の富士の3横綱に勝利。同年春場所後、大関に昇進した。85年春場所で初優勝。優勝決定戦で2回敗れたが同い年の千代の富士も好敵手だ。
綱取りは果たせず、89年春場所中に引退。大関在位は36場所。86年に8歳年下の恵さんとお見合い結婚。1男1女を授かっている。
90年から若松部屋を率い、2002年に高砂部屋を継承。地元高知の明徳義塾高校に相撲留学中だった、後の朝青龍をスカウトしたのは99年。負けん気の強さが気に入ったという。
「弟子を押さえつけない指導でした。優しくて手綱を緩めながらも個性をよく見極めていた」(杉山さん)
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