月給12万円で“うどんの世界”に飛び込んだ元巨人・條辺剛さん(42) 愛犬の名を店名にするつもりが…セカンドキャリアで成功した秘訣

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「プライドがどうのこうのとは言っていられない」

 水野のアドバイスに従って、店名は「讃岐うどん 條辺」と決めた。そして、水野の発案で、「店の暖簾に染め抜く屋号を長嶋に書いてもらおう」となった。それが、現在も店先に飾られている暖簾の文字であり、店内に飾られている長嶋の直筆色紙である。

「もちろん、僕としては“うまくいけばいいな”とは思っていたけど、内心では“そんなにうまく話が進むものだろうか?”という思いもありました。でも、長嶋さんが色紙に店の名前を書いてくれたんです。長嶋さんからは、“セカンドキャリアも頑張れ”と声をかけてもらいました。水野さんは実家が商売をやっているので、客商売は甘くないということをよく知っていたけど、僕はそもそも自分の名前は出したくなかったですから」

 野球ファンにはなじみのある「條辺」という珍しい名前を、本人は封印したいと考えていた。その理由とは何だったのか? 條辺は静かに口を開いた。

「うーん、恥ずかしさ? いや、恥ずかしさとはちょっと違うな。当時は、《元巨人》という肩書きにモヤモヤしていたんです。あの頃は野球を見ることはほとんどなかったです。お客さんとの会話のためにスポーツ紙で結果を見たりはしていましたけど、自分から進んで野球中継を見たいとは思っていなかったんです」

 心境の変化が訪れたのは、オープンから2年ほど経過して、店の経営が軌道に乗ってからのことだった。

「この頃になると、野球中継を見るようにもなったし、自分が《元巨人》であるということも、自然に受け入れられるようになった気がします」

 以来、15年にわたって條辺は店頭に立ち続けている。アルコールは提供せず、うどん一本での勝負だ。コロナ禍も直撃した。それでも、地域に根付いたうどん店として地元の人々に愛され、現役時代の雄姿を知る野球ファンも多数訪れている。

 そんな條辺に「セカンドキャリアで成功する秘訣は?」と尋ねると、「自分が成功しているとは思いませんが……」と前置きをして、こんな言葉を続けた。

「僕は飲食のケースしかわからないですけど、飲食店の場合は、やっぱり自分で店に立つことだと思います。人に任せずに、自分の目の届く範囲で営業すること。それが大切だと思います。プロ野球時代のプライドが邪魔をするケースもあるのかもしれないけど、僕の場合はそれも大丈夫でした。単価も高くないうどんですから、たくさん売らないと食べていけない。プライドがどうのこうのとは言っていられないですから」

 そして、條辺はこう続けた。

「香川で修業していたときの社長に言われました。“若くしてクビになってよかったな”って。その理由は、“年を取れば取るほど頭を下げるのが難しくなるから”ということでした。確かに当時の僕にはそんな感覚はなかったですね。毎日、毎日、“いらっしゃいませ”“ありがとうございました”って、常に頭を下げていますからね(笑)」

 改めて現役時代の思い出を尋ねると、「抑えた場面」ではなく、「打たれた場面」を口にする。

「僕は現役時代に2本もサヨナラ満塁ホームランを打たれています。1本はベイスターズ戦で谷繁(元信)さん。そしてもう1本はスワローズ戦で稲葉(篤紀)さん。どちらもフルカウントから真ん中のストレートをパコンと打たれちゃって……。やっぱり、名球会のバッターは違いますね」

 現役生活はわずか6年に終わった。すでに、うどん店主としての人生の方がはるかに長くなった。プロ野球選手だった頃の思い出も記憶の奥底へと沈みつつある。

「現役を引退してからの18年間。本当にあっという間でした。毎日ずっと一生懸命やっているだけでした。もちろん、充実感もあるはずなんですけど、そういうことを考える暇もないぐらいの約20年間でした」

 プロ通算で9勝13敗6セーブ、防御率4.58を記録した右腕は、今日も厨房に立って麺を打つ、出汁を作る、頭を下げて客を迎え入れ、そして送り出す。そんな、変わらぬ日常とともに、毎日を生きている――。

(文中敬称略)

前編【條辺剛さん(42)が回想する巨人投手時代…1年目の秋キャンプで丸坊主になった事情、怪我との戦い、水野雄仁からされた運命の提案】からのつづき

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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