三回忌「神田沙也加さん」の生き方 「人生はワンチャンス」の言葉を胸に秘め…2011年紅白で母親と初デュエットの思い出

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三回忌にもたらされた嬉しいニュース

 芸能界は一見華やかだが、その陰でひっそりと消えていく人も多い。辛いときは大地さんの「人生はワンチャンス」という言葉を思い出したという。そのための努力を怠らないのが沙也加さんだった。完璧主義というのか、いつもブツブツとセリフや歌詞を口ずさみ、役を染み込ませたらしい。

「舞台では汗をかいて恥をかいてボロボロになりながら、答えにたどりつきたい」(朝日新聞:18年8月30日夕刊be)

 こんな言葉も残していた。真面目で真っ正直で頑張り屋だったのだろう。

 庶民派でもあった。学園ドラマに出演していた16歳のとき、共演者の男の子たちに教えてもらったのがきっかけでラーメンが大好きに。お気に入りが、原宿にある九州ラーメン店。ニンニクたっぷりのスープに、卵、角肉、チャーシュー……麺の硬さは必ず「粉落とし」。麺の表面についた粉を落とす程度、さっとお湯にくぐらせるだけである。バリ硬よりも硬いのかもしれない。

 こってり系の豚骨味が好きなのは、聖子さんの出身地である「九州の血」を引いているからなのか。いまもその店はあるが、沙也加さんが店の隅でズズズーッと麺をすすっているのではないかという錯覚さえ起きてしまう。

 その死を想えば想うほど悼まれる。あなたの舞台をもっと見たかった。あなたの歌声をもっと聞きたかった。40代、50代、60代と年齢を重ねつつ芸能界で活躍するあなたを応援したかった。だが、あなたはもう帰ってこない。

 とはいえ最近、ファンにとってはうれしいニュースもあった。沙也加さんの三回忌を機に公式インスタグラムが更新され、「今後も可能な限り神田が遺したままの状態で継続したい」と事務所が文書を発表したのである。

 インスタグラムでは「神田沙也加の3回忌 に際し、お悔やみのお言葉、励ましのメッセージを頂戴しましたこと、心よりお礼申し上げます。本来であればお一人お一人にお礼をお伝えしなければなりませんが、こちらでのご挨拶となりますことをお許しください」とファンに感謝のメッセージを送った。その上で「なお、神田のSNS等は今後も可能な限り神田が遺したままの状態で継続したいと考えております。多くの皆様にご覧いただけましたら幸いです。株式会社ファンティック」とした。公式Xにも同様の文書がアップされた。

 沙也加さんは今でもファンの心の中に生きている。忘れまい。その優しい笑顔を。

 次回は元朝日新聞記者でTBS「NEWS23」のキャスターとしても活躍したジャーナリストの筑紫哲也(1935~2008)。どこかで平和が脅かされれば飛んで行き、どこかで民主主義が危うくなれば「多事争論」で訴えた。がんが骨に転移しても、その反骨精神は揺るがなかった。その生涯をたどる。

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■相談窓口

・日本いのちの電話連盟
電話 0570・783・556(午前10時~午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/

・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/

・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jscp.or.jp/soudan/index.html

小泉信一
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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