三回忌「神田沙也加さん」の生き方 「人生はワンチャンス」の言葉を胸に秘め…2011年紅白で母親と初デュエットの思い出
「松田聖子の娘」という重圧
世間の動向は、父で俳優の神田正輝さんと、母で歌手の松田聖子さんに集まった。当然のことだろう。荼毘に付したあと、札幌市内の斎場で、2人はそろって報道陣の前に姿を見せた。
沙也加さんの骨壺が入った白い箱を両手で持った神田さんは、
「大変申し訳ありません。ありがとうございます。身内の近親者のみでお別れ、そして納骨というか、お骨にすることができました。みなさんご協力ありがとうございました。ただ、あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたらありがたいと思います」
聖子さんは、
「本当にみなさんお寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」
とあふれる涙をこらえつつ語り、深々と頭を下げた。記者との質疑応答はなかったので記者会見とは言えないが、2人にとってはこれが精いっぱいのファンへのメッセージだったのだろう。
聖子さんはこの年の大晦日に放送される「第72回NHK紅白歌合戦」に25回目の出場を予定していたが、NHKは聖子さんの辞退を発表。ファンの悲しみはさらに広がった。
私は2011年の紅白を思い出す。沙也加さんは東京体育館で行われた聖子さんのカウントダウンライブに出演。会場からの生中継出演で、母と娘で紅白に出た。白いドレスに身を包んだ2人は、坂本九(1941~1985)の大ヒット曲「上を向いて歩こう」をしっとりと歌い上げた。親子仲睦まじく笑顔で手を握り合い、頬を寄せ合った姿をいまも鮮明に覚えている。
あのとき沙也加さんは「本当にうれしく思っております。母との初デュエットが紅白だなんて、贅沢で光栄です」と喜びを表明。「上を向いて歩こう」を選んだのは、この年、東日本大震災が起きたからだったのだろう。復興支援の意味もあり、あの透き通るような歌声で「上を向いて歩こう」を歌い上げた。
それにしても、「松田聖子の娘」といつまでも言われることが辛かったのだろうか。深刻な悩みを抱え、誰にも相談できなかったのだろうか。臆測が臆測を呼ぶが、根拠のない話で探るのはやめておこう。
ただ、伸びやかで艶のある高い声は舞台女優として、ミュージカルスターとしてとても魅力的だった。明るい笑顔は「お嬢さん」のイメージが重なる。
1986年に生まれた沙也加さんは、2001年にCMで芸能界にデビューした。当時、中学生である。歌手のほか映画やドラマとさまざまな世界で活躍したが、何かが飛び抜けてできたわけでもなく、熾烈な芸能界で生き抜く自信がなくなったこともあったらしい。高校を卒業すると1年半ほど活動を休止する。
飲食業界でのアルバイト。注文取りのほか掃除や調理場の手伝いなど、朝から晩までがむしゃらに働き、正社員になろうとも考えた。そんな矢先、舞台「夏の夜の夢」のオーディションの話が舞い込んだ。
人生の転機とは、突然訪れるのだろうか。よく舞台を見に行っていた女優の大地真央さん(67)が、沙也加さんが働いていた店に来た。沙也加さんは矢も盾もたまらず店を飛び出し、大地さんの車の中で相談。「人生はワンチャンスよ。つかみなさい」と大地さんに励まされた。
そしてオーディションに合格。妖精役の1人として出演した。その後もチャンスを逃さず、14年には前述したディズニー映画「アナと雪の女王」の日本語吹き替え版でアナ役を勝ち取った。
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