「ちょっとキザですが…」でニュース番組を変えた「ミスターNHK」磯村尚徳さん、「小沢一郎氏」に担がれて都知事選にも出馬【2023年墓碑銘】

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劣勢でも周囲を批判しなかった

 ファッション評論家の堀江瑠璃子氏は言う。

「パリのパーティーでお会いしたことがあります。振る舞いが自然であか抜けていました。立場があるのに威張ることもない。おしゃれをひけらかさず、身だしなみが整った紳士でしたね」

 報道局長や特別主幹を経て91年に退職。民放からの誘いを断った。同年、東京都知事選挙に立候補し現職の鈴木俊一氏に大差で敗北。

 政治評論家の小林吉弥氏は思い出す。

「自民党の党本部と東京都連が分裂した異例の選挙でした。磯村さんは当時の幹事長、小沢一郎氏に担がれた。劣勢でも周囲を批判しなかったのは磯村さんらしい。それまで国政選挙の出馬要請を何度も受けながら一切固辞していた人です」

 97年から2005年まで日本の文化を発信する「パリ日本文化会館」の初代館長を務める。フランスの最高学府で乞われて講演も行う。19年、「ルネサンス・フランセーズ」日本代表部による第1回栄誉賞授与式が開かれ、89歳の磯村氏は「フランス語振興賞」を受けた。会場で磯村氏は本誌(「週刊新潮」)に〈日仏ほど文化面で本能的に親近感を持つ関係はない。文化の結びつきほど強固なものはありません。これは両国の財産と考えるべきです〉と力強く語った。

 12月6日、骨髄異形成症候群のため94歳で逝去。

 外交官になれなかったことを晩年でも思い返していたが、フランスと日本の架け橋としての役割を現場で地道に果たし続けていた。

デイリー新潮編集部

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