80年代最大のヒット曲、もんたよしのりさん「ダンシング・オールナイト」は「400曲から選び抜かれた一曲」だった【2023年墓碑銘】

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 長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年11月9日号掲載の内容です)

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 1980年、「もんた&ブラザーズ」の「ダンシング・オールナイト」は、有線放送から人気に火がついた。もんたよしのりさんの独特なしわがれ声に驚き、一度聴けば口ずさみたくなる曲の調子も魅力だった。

 久保田早紀の「異邦人」、クリスタルキングの「大都会」、シャネルズの「ランナウェイ」などヒット曲がひしめく中で人気をさらう。

 ラジオDJで音楽評論家の山本さゆりさんは言う。

「声と曲が文句なしに良かった。歌番組で熱唱する姿から誠実さも伝わり、老若男女を問わず魅(ひ)かれた。今も古さを感じさせません」

 もんたさんの実家は、神戸市東灘区にある寝具やインテリアを扱う店だ。近隣の小学生にとって今でいう聖地となる。「もんたの家や」と尊敬のまなざしで眺め、大スターなのに身近な人に思える温かさを感じていた。

 51年生まれ。本名は門田頼命(かどたよしのり)。中学時代はハンドボール部で活躍。報徳学園高校に進むがバンド活動に夢中に。ボーイソプラノの高い声は地元神戸のダンスホールでリズム・アンド・ブルースを歌ううち、自然と唯一無二のあの声になった。

 71年に上京。ソロ歌手としてデビューするが、なかなか芽が出ない。

「長男ゆえ帰郷して家業を継ぐ覚悟をする。父親から“半端な気持ちで商売されては困る。ケリをつけにもう一度行け”と言われた」

目がいい

 と、当時取材した音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんは振り返る。

「『ダンシング・オールナイト』は北島音楽事務所の所属時に生まれた。北島三郎さんの弟、大野佶延専務が、もんたさんの目がいいと見込んだ。暮らしがみじめではいけないと毎月20万円を渡して音楽に没頭させた。2年間で400曲を作り、選び抜かれた一曲です」

 時に29歳。わずか数カ月で世界は一変した。日本レコード大賞金賞、全日本有線放送大賞など数々の賞を総なめにしてNHK紅白歌合戦にも出場。「ダンシング・オールナイト」は160万枚を超える売り上げを記録、80年代全体を通じて一番のヒット曲となる。

 音楽評論家の増渕英紀さんは思い出す。

「芸能界のスターに祭り上げられてしまった。人気に浮かれるどころか、戸惑った。大きなホールでは、彼が大切にするファンの表情や反応がつかめない」

 もんたさんが歌いながらステージで後退するのは、演奏するメンバー全員の姿を映像に収めてほしいから。それほど細やかだった。やがて年間130回ものコンサートに追い詰められてしまう。

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