追い込まれた島崎俊郎さんは「ペイ!」と叫んだ…「ひょうきん族」名物Dが明かす“アダモちゃん”誕生秘話

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過保護なくらいの子煩悩

 87年から、日本テレビの「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に登場。芸能人初とされるバンジージャンプやライオンの尻尾を握っての書き初めなど体を張った芸で新境地を開く。気遣いができ、雑誌の対談でも場を盛り上げ重宝された。

 92年、リポーターの桜井保江さんと結婚。2男を授かった。過保護なぐらいの子煩悩。仕事で危険なことをしてきたからどこが危ないか分かると言い、滑り台もまず自分が先に試した。

 89年「オレたちひょうきん族」終了後も、アダモちゃん人気は衰えず、90年代末に若い女性にガングロが流行すると元祖と称された。

 島崎よりアダモの名で呼ばれたが愚痴を言わない。還暦過ぎて息切れしても全力でアダモちゃんになった。

 12月6日、自宅で倒れて急逝。享年68。11月まで問題なく仕事を続けていた。

「今ならパワハラと言われそうな現場でしたが、テレビのいい時代でした。演者さんとスタッフが皆で面白いものを作ろうとしていました。島崎さんは真剣にアダモちゃんになりきり、笑いを広げたからこそ観た人にちゃんと伝わり、心に残ったと思います」(三宅さん)

 訃報は大きく伝えられた。

デイリー新潮編集部

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