追い込まれた島崎俊郎さんは「ペイ!」と叫んだ…「ひょうきん族」名物Dが明かす“アダモちゃん”誕生秘話

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

 長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年12月21日号掲載の内容です)

 ***

 フジテレビの「オレたちひょうきん族」で、お笑いタレントの島崎俊郎さんが「アダモちゃん」に初めて扮したのは1985年。役は分身以上の存在になった。 
 
 アフロヘアーのかつらをかぶり、顔を褐色に塗って、上半身裸の腰巻き姿。腕をおおげさに動かし「ホッテマカセー」などと歌い踊りながら登場。「アダモステ、ペイ」が決まり文句だった。

「オレたちひょうきん族」のディレクターを務めていた三宅恵介さんは振り返る。

「グループサウンズのバンドが解散する設定で、たけしさん扮するリーダーが、長髪のかつらをつけた島崎さんに“お前はポリネシアンダンスを踊っていればいい”とアドリブで言ったのがきっかけでした。これは面白いと早速翌週、タケちゃんマンの中にポリネシアンダンスの場面を作りました。面白いハプニングが生まれた時、その流れを翌週にどうつなぐかを心がけていました。振り付けは自由にとお願いすると、意味不明なことを叫びながら両手を振りかざして踊り出した。スタジオは大爆笑です」

「ホンナニモ、カー」などと真顔で言われ、対するたけしも本気で笑ってしまう。

「うけたのはいいのですがどう収めるか、島崎さんは追い込まれたのですね。最後に“ペイッ”と叫んだ。何だかわからないけれども見事に面白い。こうして定番のキャラクターとして成立。アダモちゃんは島崎さんがオリジナルで生み出したのです」(三宅さん)

ハナ肇さんを訪ねて弟子入り

 55年、高知県生まれ。左官の棟梁だった父親が京都タワーの建築に加わり、京都に引っ越す。父親が酒を飲んでいる時の口癖が「このーペッ」。子供時代の島崎さんの耳に残り、アダモちゃんの「ペイッ」につながったという。府立洛北高校時代はサッカー部で活躍、全国大会にも出場した。

 卒業後、芸能界を目指す。73年、東京・新宿のコマ劇場で公演中のハナ肇さんを訪ねて弟子入り志願。クレージーキャッツの付き人に。

 79年、川上泰生さん、小林すすむさんとお笑いトリオ「ヒップアップ」を結成。翌80年、フジテレビの「笑ってる場合ですよ!」のコーナー「お笑い君こそスターだ!」で勝ち抜く。鈴を鳴らしながらネタを締めくくる歌謡コントが大うけ。アイドル的人気を誇った。

「オレたちひょうきん族」には81年の開始時から出演。売れっ子になったが壁を感じ始め、アダモちゃんのキャラクターを作ることで吹っ切れたという。台本には毎週「ここでアダモちゃん登場、大爆笑のうち嵐のように去る」としか書かれていない。真面目すぎて演技の計算ができず、自分でスイッチを入れるようにしてアダモの世界に飛び込んだ。

次ページ:過保護なくらいの子煩悩

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。