ゴジラ俳優「薩摩剣八郎さん」死去 金正日肝いり「怪獣映画」に出演 かつて明かした北朝鮮“極寒の撮影秘話”

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二ミリの穴から見えたもの

 思わぬ形で始まった「ゴジラのなかみ」は、想像以上に過酷なものだった。

「着ぐるみ(=ゴジラ)の重量は一一○キログラム。顔から容赦なく噴き出す汗が、まるで狙い撃ちするかのように、眼の中へ流れてくる。(中略)吹き出た汗の玉が上体を滑り落ちて、足元にたまり始めた。着ぐるみを着てから、正確には五分とたっていないだろうに、足元が濡れ、動くとジュクジュク音を立てる」

 ウエイトトレーニングから空手の訓練まで毎日こなしておきながらも、総重量一一○キロの着ぐるみを“演技”として着こなすには、これだけの苦労があったのである。

「僕はゴジラの中に入るようになって、人の心が少しだけよく見えるようになった気がしている。中にはいってじっと出番を待ちながら、二ミリの命穴から外をみていると、監督やスタッフの表情が読み取れる。このシーン薩摩にできるかなとか、面と向かっては口にださないことが見えてくる。相手にすれば、ゴジラに入っている僕とはじかに向き合っている気にならないから、割と無防備になるのかもしれない。このことは自分に返して気をつけたいと思う。普段の生活の場面場面では、僕もそうしているかもしれないからだ。小さな穴が教えてくれたことは、とても大きいことだった」

スタジオのアンモニア臭

 そんな薩摩さんを語る上で欠かせないのは、38歳にして、北朝鮮の怪獣映画『プルガサリ』に出演したことだ。映画好きの金正日自らがプロデュースし、軍隊まで全面協力したという“国策映画”である。

「話があった時は不安でしたよ。行ったきり帰って来られないんじゃないか……と。実際、空港に着いたら即、パスポートを取りあげられてしまいました」(週刊文春/1988年)

 外出時には常に通訳が“監視役”としてついていたものの、現地人とも打ち解け、豊かな時を過ごしたという。その一か月半にも及ぶ滞在については、『ゴジラが見た北朝鮮』(文藝春秋/1994年)で本人が詳しく語っている。

「おいどんたち六人を乗せた、ベンツのマイクロバスは、平壌空港を後にして、宿舎となる金正日書記の別荘めざして、すっ飛ばしてゆく。(中略)おいどんの部屋には、ダブルベッドが二つ、ステレオ、テレビ、ラジオ、ズボンプレッサー、本棚まで揃っている。やけに天井が高く、だだっ広い。もちろん、冷暖房完備。(中略)はっきり言って、こんな部屋に泊ったことなどない」

 金正日肝いりの事業だけに、その歓迎ぶりが窺える。だが、スタジオの環境は“北朝鮮ならでは”のものだった。

「スタジオの中に入ると、生かわきのセメントの匂いとアンモニアの匂いがまじり合い、ムッとする。アンモニアの匂いは、トイレが完成してないので、小便をそこらへんの物陰でするからだ。(中略)まだガラスの入ってない窓から寒風が吹き込む。十月に入ったばかりなのだが真冬のような寒さだ」

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