ゴジラ俳優「薩摩剣八郎さん」死去 金正日肝いり「怪獣映画」に出演 かつて明かした北朝鮮“極寒の撮影秘話”

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 ゴジラシリーズのスーツアクターとして知られる俳優の薩摩剣八郎さんが、12月16日に亡くなった(享年76)。その着ぐるみの“目”から、世の中はどのように見えていたのだろうか。

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きっかけは「若手のドタキャン」

 ゴジラといえば、言わずと知れた怪獣映画の代表として、今やハリウッドでも巧みなCG技術によって作品が生み出されている。だが、昭和当時は着ぐるみを用いた特撮で、いかに臨場感を出すかがすべてだった。

 そんなゴジラの“着ぐるみ時代”を支えたのが、紛れもなく薩摩さんだった。

 川崎製鉄での勤務を経て、日活で俳優活動をスタート。時代劇に注力するために三船プロダクションに移り、名優・勝新太郎氏とも共演を果たすなど、順調に“サムライ俳優”としてのキャリアを歩んでいた。

 ゴジラとの出会いは、20代半ばの頃のこと。最初はゴジラ役ではなく、「ヘドラ役」としての着ぐるみデビューだった。自身の著書『ゴジラのなかみ』(筑摩書房/1993年)では、この転機をこう振り返っている。

「まさか怪獣ヘドラとは。俳優のやる仕事じゃないじゃないか。アクションや斬られ役の方が、顔が見えるだけまだましだ。(中略)しばらく考えた末、怪獣映画はこれ一作と心に決めて、ヘドラを引き受けることにした。俳優としての『勘』の勉強になると思ったし、何よりもギャラがよかったからである」

 こうしてゴジラ映画に初出演したことがきっかけで、初代の中島春雄さんに続く、“2代目ゴジラ”の役がまわってきた。自身が「ゴジラ役」に推薦した若手俳優が、「顔が見えないから……」という理由で“ドタキャン”をしたのである。

「『監督、ゴジラの件は、僕にお任せください。運動神経抜群で、ゴジラぴったりの若者がいますから』と啖呵をきっていたのだ。約束した手前、いまさらできませんとは言えない立場だ。責任がある。だけどここは謝るしか方法がない。(中略)ところが、謝りながら、『責任とって僕がやります。監督だめですか』といってしまった。そうしたら、なぜかすんなりと決まってしまったのだ。これが僕のゴジラ人生のスタートだった」

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