視聴率は歴代ワースト2…「どうする家康」に視聴者が最後まで感じた違和感の正体

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優先されすぎた「個人の思い」

 次に女性の活躍だが、そのひとつが信長の妹である市(北川景子)の描き方だった。天正10年(1582)6月2日、信長が本能寺の変に斃れ たのち、6月27日の清須会議を経て、市は柴田勝家(吉原光夫)のもとに嫁ぐことになった。それは基本的に、羽柴秀吉(ムロツヨシ)や勝家が話し合って決めたことだが、「どうする家康」では、市が秀吉を警戒し、先手を打つように自身の意思で勝家に嫁いだように描かれた。

 また、勝家が賤ケ岳での敗戦ののち、居城の北ノ庄城を秀吉に包囲された際、甲冑に身を包んだ市は「この戦の総大将は、この市であると心得ておる。敗軍の将はその責めを負うもの。一片の悔いもない」といって自害した。

 すべてを自分で決断したドラマの市は、たしかにカッコよく、視聴者からも称賛の声が上がった。だが、こうした場面で市が主導権を発揮したことを示す史料はない。女性の活躍はいまの時代の要請である。しかし、現代のトレンドが遠い過去においても、すでに一定程度実現していたかのように描くことは、われわれの歴史認識を曇らせることにつながらないか。

 三つ目の、お涙ちょうだいのメロドラマを優先したという点も、こうした女性の描き方と重なっている。

 市の長女、茶々の描写もそうだった。市が自害した北ノ庄城から脱出した茶々(子役は白鳥玉季、成長後は北川景子)は、次のように描かれた。家康は子供時代、市に「危機のときはいつでも助けに行く」と約束し、市はそれを娘に話して聞かせていた。ところが、家康は助けに来ずに市を見殺しにしたので、娘の茶々は家康を恨み、このため大坂の陣に至るまで抵抗した。

 だが、そもそも家康が子供時代に市と交流した記録はない。10代半ばまでに二度も落城を経験した茶々が屈折するのはもっともだが、このドラマでは、歴史を動かすような決断の背景がいつも、個人の思いという小さなスポットに設定され、人知を超えた大波のようなダイナミズムが――そこに歴史ドラマの醍醐味があると思うのだが、見えなくなっていた。

歴史のダイナミズムがメルヘンに打ち消される

 そうした事例の最たるものは、家康の正室で有村架純が演じた築山殿(ドラマでは茶々)の描き方だった。築山殿は天正7年(1579)8月、家康によって死に追い込まれ、翌月には家康が彼女とのあいだにもうけた嫡男の信康も、自刃させられた。その理由は彼女に帰せられている。天正3年(1575)に宿敵の武田氏を岡崎城に迎え入れようとして事前に発覚した大岡弥四郎事件では、築山殿が主導的な役割を果たしたと考えられている。その後も信康を巻き込むかたちで、武田氏と内通していた形跡があった。

 そうであれば、家康は二人を処断するほかなかった。ところが、「どうする家康」の築山殿は、「奪い合うのではなく与え合う」社会の実現を訴えた。隣国同士で足りない物は補填し合い、武力ではなく慈悲の心で結びつけば戦いは起きない、というのが彼女の主張で、家康以下その理想に感銘し、「戦なき世」をめざすのである。

 領国の境界が常に脅威にさらされ、戦わなければ敵の侵攻を許し、戦う意志を示さなければ、傘下の領主たちはすぐに離反してしまうのが戦国の現実だった。ところが「どうする家康」はそこから目を背け、史実では謀反のために処断されたと考えられる築山殿に、信じがたいファンタジーを語らせ、それがのちのちまでドラマの行方を左右したのである。

 たとえば、家老の石川数正(松重豊)が秀吉のもとに出奔したのち、秀吉に臣従すべきかどうか、家康が重臣たちと話し合っているときだった。家康の側室の於愛(広瀬アリス)が会議の場に入ってきて、「お方様がめざした世は、殿がなさらなければならぬものでございますか。ほかの人が戦なき世をつくるなら、それでもいいのでは」と言い放った。要は、築山殿がめざした「戦なき世」は、家康自身が成し遂げなくても、秀吉が成し遂げるならそれでいいのではないか、という主張である。

 このとき於愛は、数正が残した押し花を見せ、その意味をこう読み解いた。数正は、庭にたくさん花が咲いていた築山(築山殿の住居)を押し花に閉じこめ、彼女の平和への願いを家康と家臣に伝えたのだと。つまり、これ以上戦を重ねるよりも、秀吉に臣従して一刻も早い平和を実現したほうがいい、というのが数正のメッセージだと。

 それが伝わると家康も重臣たちも泣き出し、秀吉へ臣従することが決まった。史実を超えて女性が「活躍」するとともに、重大な決定がメルヘンの世界に転換し、視聴者は歴史のダイナミズムを見失ってしまった。

 もちろん、狂気を帯びた秀吉の描き方をはじめ、「どうする家康」には見るべき点も少なくなかった。だが、もし大河ドラマが史実を基にした歴史ドラマであろうとするなら、ファンタジーやメルヘンには、あまり頼らないほうがいいと思うのだが。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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