大学生の息子が「20歳年上のシングルマザー」と結婚宣言…父親として「取り返しのつかないことをした」と嘆く50歳男性の末路

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 人生、いつ何が起こるかわからない。ある程度、長く生きてきた人間なら、誰もがそう思うことがあるだろう。そして窮地に陥った人間が、常識外の行動をとることがあるのも知っているはずだ。人はいつでも理性に基づいて冷静な対応ができるわけではない。

「本当にそうですよねえ。自分でもわけのわからないことをすることってありますからね。僕自身はそういうタイプの人間ではないと思っていたのに……。自分を裏切るのは自分自身かもしれません」

 笑うしかないといった感じで、大曽根卓哉さん(50歳・仮名=以下同)は言葉を吐き出した。突然訪れた波乱に、「取り返しのつかないことをした」とつぶやく。

 25年連れ添った妻との間に、23歳になるひとり息子がいる。その息子が20歳のとき、「結婚する」と言いだしたのが、卓哉さんの人生の転換点となった。

「うちの息子は親の目から見ても晩生だったから、20歳で、しかも大学生なのに結婚すると言われて妻も僕もパニックでした」

 相手は息子より20歳年上、ふたりの子どもをもつ女性だった。

「ごく普通に」育った

 卓哉さんは、首都圏のサラリーマン家庭に生まれ「ごく普通に」育った。パートで働く母と父はどちらも底抜けに明るかった。6歳上の兄と4歳上の姉がおり、彼は伸び伸びと育った。中学高校ではバスケットボールにはまり、大学時代も同好会でバスケットをやりながら、アルバイトに学業にと励んだ。

「本当にごく普通でした。同じクラスの佳葉子とつきあい始めたのは大学3年のときで、卒業して3年目に結婚したんです。わりと早めの結婚でしたけど、うちの両親が早い結婚だったので、子どもが大きくなってから夫婦で楽しんでいる姿を見ていた。ああなれたらいいなと思っていました」

25歳で結婚し、27歳のときに息子が生まれた。もっと子どもがほしかったが、それだけは叶わなかった。共働きだったから、息子の清志さんを1歳になる前から保育園に預けた。ひとりっ子ながら息子は物怖じしない社交的な子になったのではないかと彼は言う。

「小さいころから調子のいい子でした。保育園に迎えに行くと、4歳くらいでもう女の子を口説いていた(笑)。僕は妻と知り合う前にひとり彼女がいただけで、恋愛には疎かったから、誰の血筋なんだかと笑っていたんですよ」

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