【袴田事件】裁判長は「異臭がするので臭いに弱い方はご退席ください」 記者が再審法廷で目撃した異様な光景とは

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生地の色に変化に疑問

 午前の審理が終わり短い昼休みになり、午後は1時20分から再開された。

 小川弁護士が弁論を始めると、男性検察官が「裁判記録の引用はおかしい」などと形式的なことでケチ(異議申立)をつける。小川弁護士は「5点の衣類がなければ有罪はなかった」と題して、廷内の壁に据えられたモニターに概要を示しながら説明した。

 小川弁護士は「5点の衣類が犯行着衣として有罪になったが、再審(請求審)では捏造とされた。検察が犯行着衣というなら、全く違う証拠を出さなくてはならないが、これまでと変わらない。血痕の付着から犯行着衣というだけ」と批判した。そして、当時の味噌タンクの状況について「味噌は80キロで深さは1・5センチにしかならない。隠せるはずがない」と反論した。

 この日、強調したのは、発見まで1年2カ月もの間、味噌に漬けられていたはずの生地の色がほとんど変化していないことだった。2010年に証拠開示された警察の写真では、5点の衣類のシャツは白く、緑色のブリーフも緑のままで、生地の色が変わっていないのは不自然だ。

返り血も矛盾

 この日の主眼ではないが、小川弁護士が強調したのが殺害時の状況である。

 小川弁護士は「検察は、犯人は(橋本)藤雄さんのA型の返り血を浴びたとしているが、殺された4人とも傷は刺し傷ばかりで右胸に集中している。これは被害者全員が身体を動かせないようにして刺されたことを推認させる。その場合、(抵抗されることもないので)犯人が大量に返り血を浴びることはなかった」とした。また、「犯人が立って格闘していたのなら、返り血は下に垂れるが、シャツやズボンなどに下に向かって垂れた痕跡はなく、360度すべての方向に染みて広がったような血痕」だとした。外側に履くズボンよりはるかに多くの血痕が下着のステテコに残っているきわめて不自然な写真がモニターに映された。

 白山聖浩弁護士は、巖さんの体重変化について指摘した。1971年に東京高裁の段階で、巖さんが5点の衣類のズボンの着装実験をした際、太腿でつかえて履くことができなかった。検察は「逮捕後に太ったから」とした。しかし、白山弁護士は、検察が事件発生時の体重とした数字は、ボクサーとして復帰するために大幅に減量した上で計測したものであり、実際には事件発生時に体重が増加していたと説明した。

 さらに加藤英典弁護士は、検察の「味噌に浸かっている間にズボンが縮んだ」との主張に対して「共立女子大学の間壁(治子)氏の鑑定で収縮率は最大1パーセント程度」とした。

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