【元巨人投手・林昌範さん】「幻の工藤監督」でDeNAへ移籍、引退後、自動車教習所の取締役になってフロントから学んだことがどう役立ったか

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前編【林昌範さんが回想する「巨人時代」 飛躍のきっかけは阿部慎之助の座学 いきなり投げたフォークで名選手が空振り「意外といいかも」】からのつづき

 引退後、異業種の世界に飛び込んだ、元プロ野球選手の今を訪ねる新連載。元プロ選手という誇りとプライドは、第二の人生でどのように影響したか 。ノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、新たな人生をスタートさせた元選手に迫る第1回は、読売ジャイアンツ、北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズで投手として活躍した林昌範氏(40)。前編では市立船橋高校から、本人も予想していなかったジャイアンツ入団、日本ハムへの移籍までを紹介したが、林氏の選手人生はまだまだ続きがある。(前後編の後編)

幻の「工藤監督」の誘いで、新生ベイスターズへ

 2011年オフ、親会社がTBSホールディングスからDeNAに移り、新たに横浜DeNAベイスターズが誕生した。このとき、北海道日本ハムファイターズから戦力外通告を受けていた林昌範の携帯電話が鳴った。電話の主は、ベイスターズの監督就任が噂されていた工藤公康だ。

「工藤さんにはジャイアンツ時代からすごくお世話になっていました。この頃、スポーツ新聞には《横浜・工藤監督就任へ》という記事が出ていました。その直後の電話で、工藤さんから“一緒にやろう!”と言われたことで、ベイスターズ入りを決めました。新しい体制の中でプレーすることも楽しそうだと思ったからです」

 しかし、「工藤監督」は幻に終わる。新聞報道によれば、コーチ人事でフロントと折り合いがつかず、工藤は監督依頼を辞退したという。結局、中畑清が監督に就任した。

「その後、中畑さんからもお電話をいただき、“オレが監督をすることになったけど、よろしくな”と言ってもらいました。工藤監督ではなくなったけど、新しい球団の中で、もう一度フラットな目で評価してほしい。そんな思いもあったので入団を決めました」

 新生球団誕生において、林には忘れられない思い出がある。春季キャンプ初日、球団フロントによるミーティングでのことだ。

「僕もそれまでに2球団に在籍していましたから、キャンプの流れはある程度は把握していました。普通はフロントのあいさつから始まり、そのシーズンの戦い方についての説明や意気込みがあるんですけど、このとき最初に言われたのが、ファンサービスについてでした。球団の方から、“とにかくファンを大切にしてほしい”と言われました。だから、キャンプ期間中もできるだけ写真撮影やサインに応じること、そんな話が中心でした」

 とにかく、勝つことだけを考えていればいい。それまで、そんな教育を受けていた選手たちにとって、異例の通達だった。このとき、選手の間では「フロントは野球のことを何もわかっていないな」という不満が渦巻いたという。

「僕としても、やっぱりプロは勝つことがすべてだし、“何で、そこまでやらなければいけないの?”という思いでしたね。正直、僕もクビになったばかりで、もう後がなかったので、“そこまでやっている余裕はないよ”という思いでした……」

 しかし、このときのフロントの考えは、後の林にとって、新たな意味合いや気づきをもたらすことになる。

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