林昌範さんが回想する「巨人時代」 飛躍のきっかけは阿部慎之助の座学 いきなり投げたフォークで名選手が空振り「意外といいかも」
飛躍のきっかけとなった阿部慎之助からのアドバイス
プロ1年目での一軍デビューにはならなかった。飛躍のきっかけとなったのは、同郷・千葉の先輩である阿部慎之助だった。2024年シーズンからジャイアンツ指揮官となる阿部は、このときプロ2年目でありながら、すでにレギュラー捕手としての地位を確立していた。
「プロ2年目(03年)の春のオープン戦で、登板チャンスをもらいました。結果は0点に抑えたけど、内容はボロボロで、そのまま二軍行きでした。でも、バッテリーを組んだ阿部さんに、“○球目と○球目は、いいボールを投げていた。とにかく擦り切れるまでビデオを見て、そのときのピッチングフォームを固めろ”と言ってもらいました」
開幕二軍スタートとなったが、ファームでも結果を残せなかった林は、そのふがいない投球内容を叱責され、「一か月間の外出禁止」と「一軍全試合の観戦レポート提出」を義務づけられることになった。このとき、常に傍らで支えてくれたのが、負傷のために欠場を余儀なくされていた阿部だった。
「僕は外出禁止で、阿部さんは足の故障のために、たまたま同じ時期に寮で一緒に過ごすことになりました。それで、二人でテレビ中継を見ながら、“ここでお前なら何を投げる?”とか、“今のスイングを見て、バッターの狙い球は?”とか、いろいろ質問されることで初めて、真の野球を知ったんです。それから、マウンドでも考える習慣が身につきました」
阿部とのマンツーマンの「座学」は2週間ほど続いた。自分でも、明らかに野球偏差値が向上しているという実感があった。呼応するように、ファームでの結果も伴っていく。そして、03年6月28日、待望のプロ初登板のチャンスが訪れた。しかも初先発となったこの試合で、林は中日ドラゴンズを相手に7回無失点の好投を見せた。
「試合前のブルペンでは、阿部さんに受けてもらいました。でも、このときはストレートとカーブぐらいしか球種がなかったんです。で、“何か練習しているボールないの?”って聞かれたんで、“一応、フォークを練習しています”ということでフォークを投げたら、ホームベースのものすごく手前でワンバウンドしました。それでも、“よし、余裕のあるカウントでサインを出すから、とにかくフォークを投げろ”って言われました」
初回、いきなりフォークのサインが出る。阿部の目論見は見事にハマった。
「二番の井端(弘和)さんからフォークで空振りを奪ったとき、“あれ、意外といいかも?”ということになって、そこからはフォークの大連投でした。後に、立浪(和義)さんから、“お前、フォーク投げるの?”って聞かれたので、“いえ、あのとき初めて投げました”って答えました(笑)」
長身から、叩きつけるように投げ下ろす林が投じる高低差のあるフォークボールは、打者にとってはかなり厄介だった。こうして、フォークボールはその後も林にとってのウイニングショットとなっていく。
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