「バカが足を引っ張る民主主義は、エリートが率いる権威主義より効率が悪い」は本当か?
米国をはじめとする民主主義国家と、中国・ロシアなどの権威主義国家のあいだで、激しい体制間競争が行われている。
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若い人びとの間では、「バカな大衆が足を引っ張る民主主義は、エリートが率いる権威主義に比べて効率が悪い」という見方が広まっているという。一方、かつての冷戦期を知る年配層の間では、むしろ「権威主義は民主主義に比べて効率が悪い」という見方が常識であった。
戦後の国際政治学をリードした高坂正堯氏(1934~1996年)は、1990年に行われた連続講演において、権威主義体制のソ連共産党が、民主主義体制の米国に打ち負かされた理由を考察している。はたして、その議論は現在も通用するのか。当時と現在とでは、「変わった部分」と「変わらない部分」の両面があるだろう。
以下、高坂氏の「幻の名講演」を初めて書籍化した話題書『歴史としての二十世紀』(新潮選書)の中から一部を抜粋する。ぜひ読者の皆さんにも考えてみてほしい。
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現代になってはっきりしたのは、共産主義には大きな欠点があるということです。
第一に、ユートピアを作ろうとしたが、できたのはユートピアではなかった。しかし「できなかった」というわけにはいかないので、「これがユートピアだ」と言い続けなければならない。そのような嘘で固めた社会の有様を、ジョージ・オーウェルが1949年に発表した『1984年』で描いています。
仮想の国の話ですが、省庁の名前が、たとえば、宣伝省は「真理省」、軍事省は「平和省」、乏しい物資を配給するのは「豊富省」となっている。あべこべなのに、繰り返し国民に嘘を吹き込み、洗脳することで体制を維持する。そのような共産主義の姿を予言するところが、オーウェルの小説にはありました。
第二に、特定のセクションに決定権限が集中していると、システムを変化させるのが難しいことです。あらゆるシステムには欠陥がつきものですが、組織に柔軟性があれば試行錯誤しながら軌道修正していくことが可能です。そして、資本主義や民主主義のいいところはいろいろな人が決定できる点にあります。すると、些細なことから思いがけない変化が生まれることがある。社会主義のように、なにごとも上にお伺いを立てなければならず、建前で「成功した」と宣言してしまうと、その決定は誤りであるはずがないので、あとあと修正できなくなります。
民主主義の場合、くだらない目論見とくだらない動機から案外いいことが起こりますが、共産主義は素晴らしい理論と素晴らしい動機から恐ろしい社会を生み出し、さらに引っ込みがつかなくなった、そのように言えるのではないでしょうか。
世の中には中央で物事を決めて、一糸乱れずやるべきだという、理論家肌の人もいます。正しい思想を持った人物が独裁的にやるのが、間違いがなくていいのかもしれませんが、正しい考え方を持った人ばかりではないし、そんな人でも間違うこともあります。また、聖人君子でも長く権力の座にいると、変化が起こりにくいのです。
立ち遅れた技術革新
1970年代に入り、ソ連でも「これが理想郷で、党は正しいと繰り返し聞かされてきたが、やっぱりおかしい」という声が挙がり始めました。たとえば、首都モスクワの道路は特殊な構造をしていて、真ん中に黄色い斜線が引いてあります。この線の中は国家にとって役に立つ人の車専用の道路なのです。普段はそこに入って運転してもいいのですが、偉いさんの車がピーポーピーポーと入ってきたとき退かないと、牢屋にぶち込まれることになる。
「偉い人専用レーン」だけでなく、「偉い人用小売店」もあります。ロシア市民は今のところ従順にその状態を受け入れていますが、それが資本主義よりも不平等であるとすでに気づいています。自分たちの社会は理想郷であるという話も?であることは明らかで、共産党による支配の正当性も揺らいでいます。
凋落に追い打ちをかけたのは、1970年代以降に始まるマイクロエレクトロニクスの発展です。これにソ連経済がついていけない理由はまさに、社会主義体制固有の、社会の末端から変化を起こすことができない構造的欠陥にあります。ベルトコンベアで自動車を大量生産する場合は、その意思決定システムでも問題なかったのですが、電子工学の分野でソ連は著しく遅れをとるようになります。
これはゴルバチョフ自身も認めていることで、西側と大きな差がついたのは1970年代以降と述べています。1973年から何度か起こるオイルショックで西側諸国が苦しんでいたときに、産油国であるソ連は怠けていたと彼は言うのですが、技術革新が進まなかった本当の理由は「民主集中制」にありました。一番上で計画が決まるまで何もできないのですから、半導体など作れるはずがありません。
無骨な車や洗濯機を、上から命令された数だけ作っていればよかった時代は終わり、自由主義社会に技術革新において太刀打ちできなくなりました。
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まさに今、半導体をめぐり米国と中国が激しいつばぜり合いを繰り広げている。中国企業の技術革新のスピードには目を瞠るものがあるが、一方でそれらの企業は共産党の「民主集中制」の監視下にあり、その技術力はまだ米国や台湾など民主主義国家の企業には及ばない。
はたして今後の米中の体制間競争のゆくえはどうなるのか。高坂氏の語る20世紀の歴史はそれらの問題を考える際に多くの示唆を与えてくれるだろう。
※本記事は、高坂正堯『歴史としての二十世紀』(新潮選書)(新潮選書)を参考に作成されたものです。