「マスクは私を差別から守ってくれなかった…」 在日外国人が見た“コロナ禍の日本”
聞きづらいフェイスシールド越しの言葉
最終的には看護師は、マスクをしないのであれば個室に泊まらなければならないと言います。個室に泊まらないと手術は受けさせない、とも。結果的に個室に泊まることになりましたが、恐らく彼らはマスク強要が徹底的に痛ましい差別であることに気づいていなかったのでしょう。夫は、裕福な人であれば、マスクを強要されることはないんだろうな、との感想を持ちました。結局、飛行機のビジネスクラスとエコノミークラスのようなものです。1年ほど前、ビジネスクラスの客はマスクを求められなかったケースもあったと聞きました。
虐げられた庶民は思考することを許されず、自身が火葬されるまでマスクという素晴らしい効果がある万能アイテムの後ろに隠れなければならないことを、この時感じました。かくして私は入院生活を続行できましたが、私にとってマスクとフェイスシールド越しの看護師たちが喋る言葉を聞き取るのは難解でした。
何しろ聞きづらいのです。日本語を喋れるものの、流暢ではない私は、彼らの喋る言葉を理解しようと努力をしましたが、通じない場合に聞き返してもそれ以上何も言わない人もいました。しかし、私にとって大切な入院において、彼らの言葉を理解することが本当に重要なこと。でも、それをさせてもらえませんでした。
日本人が求める「顔の見えない社会」
結論として、マスク着用の執拗なプレッシャーの下での入院生活は、極度のストレス状態でした。これは、マスク強制の社会的影響について幅広い議論の必要性を浮き彫りにしたと考えます。私が苦痛なように、日本人でも苦痛な方はいます。飛行機では体質的にマスクを着けられないことを事前に申告し、他の乗客から隔離されました。マスク着用を拒否したことから裁判沙汰になった方もいます。
そう考えると、マスク文化は多くの日本人にとって人間とはかくあるべきか? という命題の本質を変え、本来大切な「人間同士のふれあい・やり取り」を不可能にさせる空気感を生み出したのではないでしょうか。病院のカーテンの向こうは、日本人が求める「顔の見えない社会」を推進するものだったと私は感じました。
日本が突入した太平洋戦争では、戦争に反対する者は非国民扱いされました。コロナも同じです。マスクは社会的同調性の影響について、人々が考えるべき課題を与えました。結局人間はあまり変わらず、いくら時間が経過しようが、異端を排除する空気感は存在していることを明らかにしましたね。私が今回こうして体験を綴ったのは、同調圧力に伴う課題と変革すべきことに光を当てたかったからです。
別に、病院や社会を批判したいのではなく、理解と共感を育み、最終的にはより皆が思いやりを持てる社会を作りたい、との思いを吐き出したかった。人間性が完全に欠落したジョージ・オーウェル的『1984』の世界観になってほしくないのです。マスクというものは、人間が人間であることを否定するものだとこの4年間でつくづく感じました。私からは以上です。
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