「マスクは私を差別から守ってくれなかった…」 在日外国人が見た“コロナ禍の日本”

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迷惑な存在

 普段の行動範囲ではマスクの強要はないものの、この前入院した病院では必ず着けるよう言われました。今の日本は、「顔が見えない」という状況に固執する臆病で偏執的なやり方にこだわり過ぎていると思います。病院では外部世界と違い、そのやり方を堅持していますし、これがまかり通る以上、いつそれ以外の場所でも「顔が見えない」が復活するか、ものすごく恐れています。

 実際に病院に通っていますが、もはやこの悲惨な人災からは後戻りできないようにも感じます。私は外国人として日本に約7年住んでいます。コロナ騒動が始まって以来最初の1年数ヶ月は厚労省や専門家や自治体が呼びかけた感染対策に対し、私も他の日本人と同様、従順な対応をしていました。いや、もっと敏感だったかもしれません。

 何しろ、初期の頃は「外国人が危険なウイルスを我が日本に持ち込んだ! ヤツらを排除しろ!」のような論調があったからです。だからこそ、私はマスクを着けることで外国人に対する批判が向けられたり、差別に遭ったりすることを回避しようとしたのです。しかし、当時の日本では人種差別が蔓延しており、多くの日本人が外国人の存在をウザく思い、さらには迷惑な存在として扱っていました。

終わらない苦痛

 次第に私は電車の席で隣に人がいない場所を選んだり、外でも極力人とすれ違わないよう意識する精神状況になっていったのです。何しろ差別は怖いですから。マスクがウイルスから私を防護してくれたのかはよく分かりません。でも、人々が私のような外国人を恐れることをマスクは全く防いでくれなかった。何しろ外国人というだけで露骨に怖がる表情を毎日のように見せられたからです。

 そうしたことから私は「マスクは私を守ってくれない。少なくとも差別からは」という判断をし、2021年の早い段階でマスクを捨てました。すると、差別度合は上がります。マスクをした人々が、私のことを道路に落ちた大量の大便であるかのように、露骨に避けて歩くのです。

 こうしたことから私は憂鬱を発症。そして常に不安を抱いていることからパニック障害と診断されます。それに加えてバセドウ病と過敏性腸症候群とも診断されました。いずれも自己免疫疾患で、恐らく一生私を悩ませることになるでしょう。

 医師は過度のストレスが原因のようだと述べました。これに加え、日本で直面してきた数々の差別と、かつて食事を楽しめたカフェでも常時マスクをしなければならないという絶え間ないプレッシャーにより、PTSDとなりました。これだけの病気と診断されたわけで、本当に私はこの3年11ヶ月、消耗させられました。今でも病院ではマスクを強要されるため、この苦痛は終わっていないのです。

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