「頬に監督の手の跡が残った状態で試合に…」 体罰、挫折を乗り越えた女子バレー・益子直美が「怒ってはいけない大会」を主宰する理由(小林信也)
いまなら決められる
当時は八王子実践高の全盛期。その絶対的強豪と1984年の春高バレー準決勝で対戦した。
「私たちの目標はベスト8でした。負けたら殴られるから、みんな必死でした。準々決勝で負けそうになって私は往復ビンタされた。頬に監督の手の跡が残る状態で準決勝に臨みました。
八王子実践からは東京都の大会で1セットも取ったことがなかった。勝てるわけがない。負けたら殴られるけど目標は達成したのでもう失うものはない。そんな心の余裕でしょうか。1セットを取られた2セット目、先行されてから私のジャンピングサーブとバックアタックが炸裂し始めた。サーブが3本連続で入ったことはないのに入ったんです。それで逆転。3セットに入ると、私が前にいようが後ろにいようが監督はずっと叫んでいました。『益子に全部上げろ!』って。私は無理無理と心の中で叫んでいたけど、いまなら決められるとも感じていました」
益子の目覚ましい活躍で共栄学園が八王子実践の連勝記録を105で止めた。
高卒後、イトーヨーカドーに入り、黄金時代の日立に立ち向かった。1年目、何とあの汪がヨーカドーのコーチに就任していた。
「その時初めて練習が面白いと感じた。汪さんはBクイックのポジションからジャンプして、斜めに跳んでAクイックのトスを打つスパイクが得意でした。『それをやってみよう』と汪さんが言った。そんな男子の世界的エースの武器を女子がやるなんて無理! みんなためらったけど汪さんが『絶対できるからやってみよう』って。そしたらできる選手がちらほら出てきた。あの時はワクワクして練習できた。すごく面白かった」
現在は現役時代の苦い思いから「(監督が)怒ってはいけないバレーボール大会」を主宰。その輪が広がっている。
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