ブギウギで再注目「エノケン」の数奇な人生 57歳のとき右足を切断、5本以上の義足を使い分けた“日本の喜劇王”がいま蘇ったら

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「エノケン」ならぬ「エノケソ」

 いまの芸能界に、エノケンのように既成概念を突き破るパワーの持ち主はいるだろうかと、私は思う。

 少年のように好奇心旺盛で新しいことに挑戦し、面白いことには無邪気に喜んだ。

 エノケンが浅草でブレイクした全盛期のころ、タキシードに蝶ネクタイという本人を彷彿とさせる姿で登場した芸人がいた。芸名「エノケソ(えのけそ)」。もちろん偽者である。戦後すぐの時期でも、旅回りの一座が地方公演に行くと、「エノケソ来たる!」と書いたポスターを張ったといわれる。客が「ン」と「ソ」を読み間違えるのを狙ったわけだが、場内はやんやの拍手喝采に包まれたそうだ。「美空ひはり、なんて歌手もいましたよ」と浅草の芸能通。

 エノケンは後輩から大変慕われた。エノケン劇団のメンバーでもあったコメディアンの関敬六は、中学生のときから週1回、栃木県足利市の自宅から2時間半、電車に揺られて浅草に通った。

「エノケンのあの動き。そしてしゃべくり。俺もやってやろうと思ったが、なかなかできなかった」

 と関は私に話した。何よりも難しかったのが哀愁。体中から自然に湧き出てくる哀愁、ペーソスである。

「こればかりは、稽古を重ねて身につけるというものではないが、エノケン先生は温かい目で僕の演技を見守ってくれた」

 と関は言っていた。

 エノケンの話に戻る。若いころの大酒飲みがたたったのか、1970年1月1日、日本大学駿河台病院に入院。「病院で年を越すのは嫌だ」という理由で元日になったらしい。

 同月7日、肝硬変にて逝く。令和のいま、あの世から蘇ったら、YouTubeなどネット上で大暴れするだろう。ハチャメチャな動きが若者の心をとらえ、デジタルの世界をも席巻するかもしれない。

 次回は俳優の神田沙也加(1986~2021)。神田正輝(72)、松田聖子(61)を両親に持ち、ミュージカルスターとして多くのファンを獲得した。北海道札幌市のホテルで急逝してから2年になる。

小泉信一
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)『絶滅危惧種記者 群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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