26人犠牲「北新地放火事件」から2年 30代遺族が告白「夫の命の価値が低いと言われているようで憤りと悲しみが」
北新地の事件と京アニの事件
北新地放火事件の場合、犯人が死亡しているため民事裁判で損害賠償金を求めることもできない。一方、36人もが命を落とした「京都アニメーション放火事件」では公判が行われて注目を集めている。
Aさんは、自身の夫を亡くした北新地の事件と京アニの事件を比較して、
「犯人が(生きて)いるかどうか、それは大きい違いですよね。こちらは、もう謝らせることもできなくなってしまった、という辛さがある。でも加害者が生きているからこその辛さもあると思います」
と語るのである。
「私は、北新地の放火事件も京アニの放火事件も社会の課題をあぶりだしていると思います」
どういうことなのか。
「加害者側の課題としては、どうして人を巻き込み、大量殺人を犯してしまったのか、どうしてそんな人物がこの社会で生まれてしまったのか。そこを考えなきゃならないという共通の課題があると思っています。それと“その人の生産性”が“その人の価値”なのだという価値観が少なからずネットのコメントなどで浮き彫りになった、ということ。誰しもそれぞれ事情や特性や障がいを抱えていて当たり前なのに、なんの落ち度もなく被害に遭った人たちへの風当たりがあるということは、事件直後、とても冷たく感じました」
社会が直視すべきもの
Aさんは続ける。
「そういった点からすると、北新地の事件と京アニの事件は、放火という点はパッと見て共通している んですが、一方では加害者がもういない、これは北新地の事件ですね。一方では被害者が無職だった。これも北新地の事件です。その違いだけで、注目のされ方が全然違ってしまいました。でも、放火という形以外に、社会に課題を突き付けているという意味では共通しているわけです。社会が直視しないといけないものが浮き彫りにされたという意味で……」
Aさんは、将来を見据えてこうも話してくれた。
「たまたま無職だっただけなのに 、生産性がないとか命の価値が低いという、そういった価値観が国や行政にあることを犯罪被害者給付金の制度で知りました。主人の名誉と人権。それを考えたことが怒りの発端、活動の原点です。この活動が10年、20年後の制度の改善につながっていって、それによって自分が納得できる形になることが、彼への供養につながると信じています」
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