「できるかな」最終回まで無言を貫いた「高見のっぽさん」、米寿の旅立ちを前に“僕は風のように逝くからね”【2023年墓碑銘】

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ユーモアがあり話好き

 番組終了後も子どもへの姿勢は変わらなかった。

「初対面の子どもにまず丁寧に名乗り、あなたのお名前を聞かせていただけますか、と話しかけていました。すると子どもは一生懸命名前を答え、横にいる親御さんも驚いていた」(古家さん)

 高見さんを取材したノンフィクションライターの歌代幸子さんも思い出す。

「子どもとどう遊ぶかより、そこから生まれる会話が大事、“私はこう思いますけれども、あなたはどう思いますか”と聞いてみてはどうでしょう、と話されたことが印象に残っています」

 大人を試してくるような子どもにも本気で厳しく接した。言動は一貫していた。

 2005年、NHK「みんなのうた」で、作詞した「グラスホッパー物語」を歌い71歳で歌手デビュー。子どもたちに挑戦の大切さを呼びかける歌で、「できるかな」を観て育った世代の心にも響いた。絵本や童話も執筆し、宮沢賢治の作品をもとに一人芝居を作って演じるなど前に進み続けた。ユーモアがあり話好きだった。

 昨年9月10日、心不全のため88歳で逝去。他界は5月10日、高見さんの誕生日に合わせて発表された。

「“僕は風のように逝くからね”と話していました。その言葉通り、直前まで健康で仕事をしていたのです。お別れで皆さんの貴重な時間を邪魔しないよう、半年以上伏せてほしいというのが遺志でした」(古家さん)

デイリー新潮編集部

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