「できるかな」最終回まで無言を貫いた「高見のっぽさん」、米寿の旅立ちを前に“僕は風のように逝くからね”【2023年墓碑銘】

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 長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年5月25日号掲載の内容です)

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 出演中は一言もしゃべらないのに、観る者にこれほど強い印象を残した俳優はいないだろう。NHKの教育番組「できるかな」で「ノッポさん」として親しまれた高見のっぽ(本名・高見嘉明)さんのことである。

 きのこのようなトンガリ帽子に吊りズボン姿、軽やかなステップを踏みながら、無言であっと驚く工作を生み出す。番組は15分。臨場感を伝えたいとカメラを止めずに一気に撮影していた。高見さんは実は自他ともに認める不器用。だからこそ常に真剣で、その姿は幼い視聴者にちゃんと伝わった。

 高見さんが所属する事務所の代表で、40年来の縁がある古家貴代美さんは言う。

「子どもに工作の手順を教えるのではなく、ものを作る楽しさを伝えようとした番組です。のっぽさんは子どもを“小さい人”、大人を“大きい人”と呼んでいました。同じ人なのだからと敬意を持ち、対等に接したのです。幼さゆえにわがままでも大人以上に洞察力が鋭いと感じ、普段から子どもを喜ばせようと迎合したり、このぐらいでいいやと手を抜いたりすることはありませんでした」

 1934年、京都・太秦生まれ。父親は奇術師の松旭斎天秀として名をはせ、俳優や芸人としても活躍。母親は両国の由緒ある相撲茶屋の出身だ。東京の向島に移るが、岐阜県の笠松に疎開中に敗戦を迎えた。

無言を貫く

 岐阜県立加納高校で同級生だった詩人でフランス文学者の小島俊明さんは言う。

「男子は坊主頭なのに長髪で背も高くて目立ちました。高1の学園祭ではオペラを作り演出して主役を務めた。猛烈な読書家で小説も書く。創作の力が抜きん出ていた。タップダンスが得意で気取ったところもあるのですが、心根が温かく率直な人。高校時代から変わりません」

 東京に戻り、芸人の活動を再開した父親を手伝う。タップダンスに磨きをかけたが下積みは長く、会社勤めをしていた妻のおかげで暮らせたと当時を振り返っている。ダンスの表現力が注目されNHKから声がかかり始め、66年、「できるかな」の前身にあたる「なにしてあそぼう」の主役に抜てきされた。時に32歳。

 70年に同番組は「できるかな」に発展。一頃出演しない時期があり、「ノッポさん」人気は一層高まる。当たり役を得ても慢心せず、むしろ挑戦する気概が欠けてきたのではと悩んだ。

 番組で20年以上も無言を貫く。90年の最終回で初めてしゃべろうと自ら決めた。

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