「男らしさ強いられ自殺を考えた時期も」 氷川きよしが明かした生きづらい胸の内
男らしく生きて欲しい、がつらい
「演歌界の貴公子」というイメージを超越しつつあることについては、
「やっぱりデビューして20年経ったことが大きい。自分の中で、10年じゃまだ生意気だけど、20年でようやく歌手として成人を迎えたような感じがしてきて。これまでは、本当の自分を出さないように、出さないように生きてきた。女性っぽさとか透明感とか、美について自分は色々な見せ方を持っていても、出しちゃダメと思いながら、精一杯頑張ってきた。けれど、素直な気持ちを言わず生きてきたって思いも募って……。
みんなが求める『氷川きよし』に徹してきたけど、40歳を過ぎて、人としてもっと表現の幅を広げたいという気持ち。そもそも演歌というのは様式美、つまり、こうあるべきという型がある。日本独特の素晴らしい音楽だけれど、その中に収まらない『自分の性分』というものもあって――。
美輪明宏さんも、自分と同じ九州の出身で、長崎では“女っぽい”からって色々イジメにもあっていた。そういう話を聞いていたので、昨年から『ヨイトマケの唄』をカバーさせていただくようになったんです。でも、世間が求める『氷川きよし』の姿とは違う。あくまで『演歌の王道』を歩んで欲しい、男らしく生きて欲しいって言われると、自殺したくなっちゃうから、つらくて……」
こうしたつらさは芸能界入りの前から抱えていたのだという。
「子供時代は、ナイーブだったし貧乏だったから。自分は生きていちゃダメなんだと思ってしまうくらい、コンプレックスを抱え続けてきた。もちろん、これまで歌わせていただいてきて本当に有難かったんですけど、楽しいと思えたことは正直なかったのかなって。周囲のプレッシャーがあって、期待に応えようと思うほど、体調を崩したり具合が悪くなって、パニックを起こして精神的に落ち込んだりしたので……」
世間に足蹴にされても
活動休止に関しては、所属事務所との関係が理由ではといった憶測も飛び交ったが、当時の彼はそうしたトラブルを否定していた。
「そこは事務所の社長(注・当時)も、“きーちゃんらしく生きていった方がいいね”って言ってくれた。社長は海外で暮らしていたこともあって寛容な人。それはすごく有難いことで、みんなが支えてくれて、本当の自分のことを理解してくれた。ファンの皆さんにも感謝、只々(ただただ)感謝の2文字です。
だから20年経ってようやく歌が楽しいと思えるようになった。今みたいに自分に素直に生きるようになってからはすごく幸せ。自分という存在が裸になっても、私らしく生きていればいいじゃない。より自分らしく生きることが大事で、そうなった時本当に輝けるのだと思う。
とにかく日本中のみんなが、『氷川きよし』ってどこかアレしているけど、ああいう人みたいに生きていけるかも、頑張れるかもって思ってもらえればいい。
今までの苦難も含めて全部をさらけ出し、歌にのせて表現することで、こんな私でもここまで頑張って生きてこられたんだ。そう伝えるのが歌手としての使命。人生の後半は、それを表現していく生き方をしたいなって。
40過ぎてどう生きるかと考えた際、もう世間にどう言われようが、足蹴にされようが、しっかり確信をもって表現していこうと決意した。もちろん、今後もみんなが求める『氷川きよし』もやっていきたいけれど、ひとつの色だけではまとめられない。さまざまな色を出しながら、表現していきたいなって思うんです」
休養を終え、充電が完了した彼の復帰を望む声は大きい。
前編【「心と体にギャップが」 氷川きよしが活動休止直前に見せた美しき素顔】からのつづき
***
■相談窓口
・日本いのちの電話連盟
電話 0570・783・556(午前10時~午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/
・よりそいホットライン(一般社団法人 社会的包摂サポートセンター)
電話 0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/
・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html
・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jscp.or.jp/soudan/index.html