「和牛」解散 もしもM-1王者になっていたら状況はまったく違った…民放Pが語る“納得の理由”
やすきよが解散しなかったわけ
「四六時中、一緒にいるからこそ、相手の嫌な面も見えてくる。だから『方向性の違い』も生まれるでしょう」
相方の「遅刻癖」も腹に据えかねてくるのだろう。
「それを聞いて思い出すのが、往年の大人気漫才師として知られる“やすきよ”こと横山やすしさん(1944~1996)と西川きよしさん(77)です。やすしさんは酒癖が悪く、泥酔して舞台やテレビに出たり、タクシー運転手を殴って警察沙汰になったり、エピソードには事欠きません。そのため、相方のきよしさんとは何度も大げんかになり、常にコンビ別れも考えていたそうです」
仕事で揉め、交番の前で殴り合いになったこともあるという。
「それでも2人に解散を思いとどまらせたのは、お互い相方がいないとこの世界で食べていけなかったからだと思います。1966年にコンビを結成し、翌76年に上方漫才大賞の新人賞、70年と77年に同賞の大賞、80年に文化庁芸術祭の大衆芸能部門で芸術祭優秀賞、84年に3度目となる上方漫才大賞の大賞を受賞しました。テレビでもコンビで多くの番組の司会を務めました」
後に2人ともピンで仕事をすることが増えたが、
「たとえピンの仕事が増えても、コンビでいることがこの世界のトップとして認知される必須条件でした。ミヤコ蝶々(1920~2000)・南都雄二 (1924~1973)、京唄子(1927~2017)・鳳啓助(1923~1994)、正司敏江(1940~2021)・玲児(1939~2010)といった夫婦漫才だって、離婚後もコンビで活動したのはそのためです」
ならば、和牛解散の理由とは?
天下を取れなかった
「もし天下を取っていたら、状況は全く違っていたと思います。彼らは『M-1グランプリ』に15年から19年まで5年連続で決勝に進出し、16、17、18年は3年連続で2位でした」
それで実力者という評価も得たが、
「あと一歩のところで優勝に手が届かず、天下を取ったという気分に浸ることはできなかったのです。『コンビの解散は世間が許さない』という域にまでは達していなかったとは言えるでしょう」
芸人にとって「M-1」覇者という称号は大きいかもしれない。だからといって、解散までするものだろうか。
「事実、『M-1』歴代優勝コンビは、全組が解散していません。4代王者のアンタッチャブルは、柴田英嗣(48)が女性問題で1年休業した上、コンビとしての活動は9年近くありませんでした。6代王者のチュートリアルは、徳井義実(48)が税務問題で芸能活動を休止した時期がありました。8代王者のNON STYLEは、井上裕介(43)が2年続けて交通事故を起こして謹慎に。相方の石田明(43)は、コンビとして続けられないと井上にキレたそうです。ところが、いずれも元の鞘に収まり、活動を続けています」
「M-1」で天下を取ったことで、コンビ仲は長続きするのだろうか。
「和牛の場合、『M-1』の王者になれなかっただけでなく、漫才で最も古い歴史を持つ上方漫才大賞も奨励賞しか受賞していません。ダウンタウン、フットボールアワー、中川家、千鳥、かまいたち、ミルクボーイも大賞の受賞者です。優勝できなかったことが直接の原因ではないにせよ、それが根っこにあると見ていいと思います」
和牛の解散が発表された翌日、ダウンタウンの松本人志(60)はXにこうポストした。
《2人とも実力あるから大丈夫やー》
「いまMCで活躍する有吉弘行(49=元・猿岩石)や中山秀征(56=元・ABブラザース)だって、解散コンビの片方です。和牛の2人もそれぞれピンで活躍してくれることを願っています」