大阪万博 350億円「リング問題」の本質 「無駄」論争で置き去りになっていることがある

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無知と揚げ足とりの応酬はなにも生まない

 一方、使用する集成材を国産だけでは賄えないからと、輸入材を主体に建築せざるをえなくなった点は、お粗末だというほかない。このリング自体が国内の林業の活性化につながった、という成功例にできなかったのは痛恨である。円安の状況下で大量の木材を輸入することになり、建築費用が膨らんだことは容易に想像がつく。

 その点は、国会での追及の対象になっても仕方あるまい。だが、現実には「鉄を使ったりボルトやナットを使ったものは、伝統工法とはいいません」などという揚げ足とりばかりがまかり通っている。

 ヨーロッパには中世以来の外観を維持しつつ、建物の内部には現代的な利便性とセンスを完璧に備えた建物が無数にあり、それらがかけがえのない歴史的景観を形成している。日本でも昨今、伝統的な屋敷や町屋を、美観を活かしながら現代人が快適に過ごせるように改造した宿泊施設や飲食店が人気を博している。すなわち伝統と最新技術のハイブリッドであり、最新技術が利便性を担保してくれるから、伝統を維持できるのである。

 貫工法にナットやボルトを組み合わせてなにがいけないのか。たとえば、完全な「伝統工法」を実現しようとすれば、あちこちで建築基準法にも抵触し、結局、なにもできなくなってしまう。ナットやボルトを使っただけで批判する森山議員にとっては、上記の「ハイブリッド」の例などはみな、邪道として切り捨てるべきものなのだろうか。

 だが、自見大臣はそれ以上に情けない。リングを造る意義を「熱中症対策」「迫力」「日本の美」という言葉でしか表現できない。ほかならぬ万博担当相がこんな言葉でしか、この木造の構築物の意義を語れないなら、上述したような議論が喚起されるわけもないだろう。

350億円を負の遺産にしないためには

 大阪府の吉村洋文知事は、12月13日にリングを視察して「すごい迫力で、国内外の人が圧倒されると思う」「素晴らしいものは世に残さないといけないという意見が出ると思う」などと語った。だが、肝心なのは「迫力」を感じさせたあとで、建設的な議論に持ちこめるかどうかである。

 現在、会期が終わると撤去する方針にも批判が集まっているが、これだけ巨大な構造物をその後も残すとなれば、それこそ膨大な維持管理費がかかるだろう。よほど画期的な使い道でも見つからないかぎり、世論に負けて撤去をためらえば、大きな負の遺産を抱え込むことにもなりかねない。そうなれば、リングがもつ木造への「正」のアピール力は、「負」のアピール力に転換されかねない。

 それよりも、木造建築の価値と今日的な意義を、リングが存在する半年間で国内外に訴えることではないだろうか。それができれば、350億円は十分な投資効果が見込める広告費用にすることもできるだろう。だが、推進側はたんに「迫力」云々を訴え、反対する側は揚げ足をとっているだけでは、350億円はドブに捨てるも同然になる。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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