いぶし銀のテクニック、関節技の鬼…木戸修さんが33年間胸にしまっていた“兄への思い”
大向こう受けはしないけれど…
「プロレスラーと結婚しようと思っているのですが……」
栄養学校の講師を5年務めていた後輩から、そう相談された先輩の女性は、
「……(プ、プロレスラー!?)」
と心配になり、周りのプロレス好きに、その選手の評判を聞いて回ったという。答えは、皆、一様だった。
「プロレスラーの中でも、おそらく一番真面目な選手」
「勤勉」
「実直」
木戸修と、夫人のエピソードである(1988年7月2日、結婚)。
1968年、日本プロレス入りし翌年、19歳でデビュー。現在も続く新日本プロレスには、1972年3月の旗揚げ戦から参加した数少ない生え抜き選手でもあった。2001年に引退し、入門から33年間のレスラー生活を終えたが(*その後、スポット参戦はあり)、その評判とセットで、ファイトぶりには、こんな名聞がついて回った。
「玄人受けする、いぶし銀のテクニックの持ち主」
「“プロレスの神様”と言われたカール・ゴッチから、“私の息子”と称された、真の実力者」
常に付いて回った“いぶし銀”、“真の”という補語。逆に言えば、次のような意味合いを内包していたと言えなくもない。「大向こう受けはしないレスラー」。実際、人々の記憶に強く残るレスラーながら、獲得したタイトルは、IWGPタッグ王座を1回のみ (パートナーは前田日明)。平たく言えば、地味な選手だったと言えるかも知れない。声高に自分自身をアピールすることもなかったのである。
そんな木戸が、弱肉強食を旨とし、日々の試合もシビアなプロレスの世界で33年も頑張り続けた裏には、何があったのか。
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