レアな三世代型ホームドラマ…「コタツがない家」が高く評価される重要な意味
笑えるものの、テーマは骨太
秋ドラマで1、2を争う笑える作品だった。それでいてテーマは重厚。「家族」と「結婚」の意味である。簡単には答えが出ない。考え込んでしまう。それを提示してくれるところもこの作品の魅力だ。
まずは「家族」である。
「宇宙の彼方まで放り出されても必ず見つけてあげるから」(万里江、第8回)
清美に捨てられた時の孤独感を振り返った達男に対し、万里江が口にした言葉だ。悠作、順基に対しても同じ思いなのだろう。何があろうが見捨てず、離さないのが、万里江にとっての家族なのだ。
次は「結婚」。漫画のネタにするために離婚を望む悠作に対し、万里江はこう言って突っぱねた。
「あなたの存在すべてが私の生きるエネルギーなのよ! ダメで、クズで、だらしなくても、あなたがいてくれたから私は輝けた」(万里江、第9回)
一度は離婚を受け入れるつもりだったが、結婚している意味を悟り、拒んだ。万里江にとって悠作の存在は、夫婦生活が長くなるにつれて大きくなった。万里江いわく、まるで出世魚のブリがモジャコ、ワカシ、イナダ、ワラサ、そしてブリと大きくなるように。
向田邦子賞作家の金子氏ならではの鮮やかな表現だった。確かにパートナーの存在は一緒に暮らす時間が長くなると、大きくなっていく。
現状に風穴を開けようと「3世代型の作品」に?
向田さんはTBS「寺内貫太郎一家」(1974年)などを書いたホームドラマの大家だ。「コタツがない家」は、向田さんが敷いたホームドラマの王道を踏襲している。
「寺内貫太郎一家」は貫太郎(小林亜星さん)、周平(西城秀樹さん)、きん(樹木希林さん)が物語の中心にいた。3世代型の作品だった。だから幅広く愛された。
この作品もそう。達男と清美、万里江と悠作、順基の3世代はそれぞれにスポットライトが当てられている。どの世代も付け合わせではない。達男と清美のそれぞれの焦燥感や恋、万里江と悠作の仕事への取り組み、順基の進路問題。世代ごとの思いや悩みがしっかり描かれた。
ここ10年以上、3世代がきちんと描写されるホームドラマは皆無に等しかった。ドラマ界が若い視聴者を追うようになった一方、焦点がボケやすい3世代型作品は制作が難しいからだ。このため、ホームドラマは親子の物語を描く作品ばかり。金子氏は現状に風穴を開けるため、意図的に3世代型の作品にしたのではないか。
もちろん、現代性も取り入れている。万里江は1人っ子だ。20年ほど前のホームドラマではまず考えられない。理由は単純。1982~2002年は1人っ子家庭の割合が10%未満で、少数派だったからである。
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