「3億円事件の後、急に金回りが良くなった男を取り調べると」 捜査員は「犯人の1人」と確信

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別件逮捕で取り調べ

 警視庁が青田を別件の恐喝容疑で逮捕し、最後の大勝負を賭けたのは、時効まであと25日となった11月15日のことだった。青田の取調べ状況を知る元刑事が述懐する。

「事件のあった時期以降、青田が動かしたカネは1億円近くになっていた。裏取りした結果、43~46年当時のカネが問題とされた。その間、彼は母親に750万円を渡していた。しかも事件の年の暮れに、友人に新聞紙に包んだ現金数百万円を貸していることも判明したんです。こうしたカネの出所を集中的に調べました」

 青田は、母親に渡したのは、家と喫茶店を売ったカネだと説明したが、時期や金額が合わない。友人に貸したカネの出所についても、秩父の知り合いから借りたものとしたが、警察がその人物に確認すると、嘘だということが判明した。

「奴が犯人の1人で間違いない」

「取調室では激しい攻防が続きました。しかし不測の事態が生じた。おかしな点を追及していると、彼が突然、ウワーと叫び、机や床に頭を打ちつけ始めたんです。調べ官が“出所を説明しろ”と更に迫ると“言えない”とだけ答え、また頭をぶつけ始めた。“なぜそんな苦しい思いをする。カネの出所を説明すれば済むだけのことだろう”と叱責したが、それには答えず、自傷行為を繰り返しました。自殺を図ろうとしているようなものです。マスコミに漏れたら、大変な問題になる。聴取にならず、時効の問題もあり、上層部の判断で取り調べは打ち切られました。結局、怪しいカネの出所ははっきりしないまま終わった。時間がなかったのが残念です。奴が犯人の1人で間違いない。もう少しで逃げ切れるので、必死にあんなマネをしたのでしょう」

 12月4日、青田は釈放された。10日が時効成立の日だったが、事実上、このときが3億円事件の迷宮入りが決定した瞬間だった。

 先の捜査幹部が、改めて佐伯少年について振り返る。

「彼は“サツズレ”していて、警察が来たくらいで死ぬタマではない。普通なら自殺する理由がないんです」

 昭和43年12月15日の夜、少年は父親と激しい口論となり、その後、謎の自殺を遂げた。彼は可愛がっていた妹宛てに便箋2通の遺書を残していたが、実はもう1通、別人の遺書が、部屋から発見されていた。彼の母親が書いたもので、〈私の遺骨は実家の墓に入れて下さい〉とあった。

「2人の遺書について、特捜本部の刑事が母親に質すと、“息子が便箋がほしいと言うので渡したが、まさか遺書を書くためとは思わなかった。私の遺書はずっと以前に書いたもの。息子を巡って以前から夫婦仲が悪く、死のうと思ったことがあった。遺書はその時のもので、便箋の中に挟んだまま、捨てるのを忘れていた”と苦しい釈明に終始しました。捜査員の多くが、“少年が、激怒する父親に3億円事件の犯行を告白し、両親は一家の将来を絶望した。母親は息子に『一緒に死のう』と諭した。しかし死んだのは少年だけだった”と思ったのも無理からぬことです。現場となった少年の部屋にはコップが2つあり、1つからは青酸カリの反応が出たが、もう1つからは何も出なかった」(同)

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