中国がマレー半島に造ろうとしている巨大運河 莫大な通行料をエサにタイ領に進出か
タンザニアに中国の「政治塾」
南アジア、インド洋への足掛かりをつくった中国は、さらに触手を伸ばしている。インド洋に浮かぶ島国モルディブ共和国だ。9月30日に実施された大統領選挙で、野党候補のムイズ氏(45)が、親インドの与党モルディブ民主党のソーリフ氏を下して、親中国の人民国民会議政権が復活したのだ。ムイズ氏は強権政治を敷きつつ中国の一帯一路構想の下でインフラ整備を進めたヤミーン前大統領の支援を受けており(9月30日付共同通信)、中国にとっては、これでアフリカまでのシーレーンを確保したに等しい。
アフリカではどうか。グローバルサウスの最大地域でもあるアフリカでは、すでにケニアに英字紙の「チャイナ・デイリー」の現地法人を立ち上げている。メディアというよりも中国政府の情報機関紙である。
また、タンザニアには昨年2月に中国の「政治塾」なるものがオープンした。一説では元京セラ会長の稲盛和夫の経営塾を参考にしたともいわれる。すでに、過去6カ月間で120人の政治家が中国に招かれ、中国経済の発展を学んでいるとも伝えられている。
中国が神経質になる理由
かくも目覚ましい中国の一帯一路構想だが、最大のネックがある。それがマレー半島だ。
一般に海路で太平洋からインド洋に抜ける際、船はシンガポールまで南下し、狭いマラッカ海峡を北上しなければならない。その場合、中国が一番恐れているのは米軍によるシーレーンの封鎖である。具体的にはマラッカ海峡のシンガポール側の出入口を閉じられてしまうことだ。
笹川平和財団・海洋政策研究部の小森雄太主任研究員は、
「米中両国にとって、互いの空母の通航は相手への大きな影響が想定されます。最近もシンガポールにアメリカの空母が寄港するなど、親米的な態度を示しており、中国がより神経質になっているようです」
と指摘する。
ちなみに筆者は29歳の時、知人がオーナーの貨物船に船員として乗船し、高知港からシンガポール経由でマラッカ海峡を通り、スマトラ島のメダン港までセメント袋2千トンを運んだことがある。当時はベトナム戦争の最中で、貨物船は台湾沖のバシー海峡を出て2日後には、2機の米軍偵察機にマークされてしまった。私は甲板で裸になり、シャツを振り回して「オレはニッポン人だ!」と叫んだものだ。
夜になると船は南十字星を追って南沙諸島を一直線に南下。吃水線ぎりぎりまで船体を沈めた大型タンカーを遠くに見たかと思うと、空っぽの大型タンカーに追い越されながらシンガポールを目指したのを覚えている。
ところが、マラッカ海峡に入ると景色は一変する。小島が無数に出現し、しかも海峡の入口が狭い。海を小山のように盛り上げて進んで来るタンカーが次々と現れては横をすれ違う。
1970年代の日本のタンカーは大きくても7万~8万トン。船と船の間は手を伸ばせば届きそうな距離だが、今では15万トン級の大型コンテナー船が絶えず航行している。そんな場所に、米空母が一隻でも居座ったら中国籍のタンカーや資源運搬船は身動きできまい。
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