なぜ東京でだけ「内申書批判」が過熱するのか 専門家が明かす“3つの特別な事情”
建前と現実の乖離
「なぜ東京の保護者と生徒が内申書に高い関心を示すのかと言えば、3点の理由を挙げることができます。1点目は、東京の全高校生のうち55%が私立に通います。私立との併願制度は複雑で理解が難しいところもあり、しかも内申点がかなりの影響を与えます。内申点に納得のいかない保護者や受験生は『内申書は一種のブラックボックスではないのか?』『内申書のせいで志望校に行けないのではないか?』と疑心暗鬼に陥りやすいのです」(同・おおた氏)
2点目は「建前と現実の乖離」だという。一応、中学校の内申点は、絶対評価というのが「建前」だが、現実は異なるという。
「絶対評価ですから、もしクラスの全員が優秀な成績を収めたら、一人残らず5段階評定の5を付けることになるはずです。ところが、現実問題として、クラスの全員に5を付けることは許されていないそうです。やはり5、4、3……と相対評価のように、ある程度のバランスを取ることが教師には求められています。そうなると絶対評価という前提が崩れてしまいますから、保護者や生徒は疑問を抱きやすくなります。例えば、平均学力の高い中学校の4と、それほどでもない中学校の4を同じ評点として入試に採用するのは問題だという意見が出ることになるわけです」(同・おおた氏)
パノプティコンの思想
3点目は「生徒会長をやれば内申点が上がる」「運動部のキャプテンを務めれば内申点が上がる」といった噂が広範に流布されている点だ。
「東京都の中学校で『課外活動が数値化されることはない』が事実です。しかし実際、『教師が完全に主観を排除できるのか』という難しい問題もあります。さらに、内申書の制度があることで、生徒にある種の圧力が加わっているのは事実でしょう。生徒側は内申書を過度に意識し、できるだけ教師にとって好ましい行動を取ろうとしてしまいます」(同・おおた氏)
おおた氏は、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが『監獄の誕生 監視と処罰』で取り上げたことで有名な「パノプティコン」を思い出すという。パノプティコンは円形の刑務所を指し、中央にそびえ立つ塔に看守が入ることで360度の監視が実現できる。
しかも、受刑者からは看守が見えなくなっており、そのほうが「常に監視されている」という意識が高まる。塔に看守が不在であっても、監視されていると思い込んだ受刑者は刑務所の秩序を保とうとする。
フーコーは管理・統制された社会システムの象徴としてパノプティコンを取り上げたが、東京都の公立中学校も似た状況なのかもしれない。
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