「おまえはおかあさんが浮気してできた子だ」…50歳男性が語る、父親の敵意に耐えた少年時代 「親の影響で僕は自分に自信が持てない」

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荒れた高校時代、妹の一言で改心

 きょうだい仲は悪くなかったのに、それをきっかけに兄と妹との関係がギクシャクしはじめた。その問題をどうとらえていいかわからなかったのだろう。思春期の3人には重い十字架を背負わされたような感覚だったのかもしれない。

「一度言い出すと、父自身にも歯止めがかからなくなったんでしょうね。それからはことあるごとに『オレに感謝しろ』『本当は捨てられてもしょうがない子なんだぞ』と言われるようになりました。母は反論せず黙っているだけ。『僕の本当のおとうさんはどういう人だったの?』と聞いても母は答えませんでした。戸籍上は父の実子になっているから調べようもない」

 高校時代は荒れた。地元のワルたちとつるんでバイクを乗り回したりもしたが、彼自身、ワルになりきれないところがあった。深夜、こっそり外から戻ってくると妹が玄関で待っていたことがあった。

「妹は言ったんです。ヨシにいちゃんとお父さんが違っていても、私はヨシにいちゃんが好きだよと。僕自身、悪さをしていても虚しくてたまらなかった。あの妹の一言があったから、僕はまっとうに生きようと思えました」

 勉強とクラブ活動に軸を移して、ごく普通の生活を送るよう心がけた。父とも母とも会話はあまりなかったが、妹がいろいろ気を遣ってくれていた。第一希望の大学に合格したとき、彼は父に手をついた。

「おとうさんの子じゃないのに、今日までありがとう。大学でかかった費用はいつか返します。おかあさんを責めないであげて。あとは4人で仲良く暮らしてください、と。それは僕の本心でもあり嫌味でもあったと思う。父は何も言いませんでした。母は僕の手をとって『ごめんね』と泣き崩れた。母の浮気の顛末は知りませんが、思わず『オレなんか生まなければよかったじゃないか』と吐き捨てるように言ってしまいました」

人間関係に恐れ

 そして彼は家を出た。年上のいとこが保証人になってくれてアパートを借りることができた。いとこはお金も貸してくれたという。その日が僕の本当の誕生日みたいなものだと彼はつぶやいた。少しだけ目が濡れているように見えた。

「あのころから今に至るまで、ときおり強い虚しさに支配されることがあります。でもなんとか大学を出て就職して、自分の人生を生きてきたんです」

 心躍るとか狂喜乱舞するとか我を忘れて何かに没頭するとか、そんなこととは無縁の人生だったと彼は言う。淡々と仕事をし、チャンスをもらえばやるべきことを全力でやった。仕事に私情は入れず、合理的に進めていく彼の姿勢は周りに「公明正大」なイメージを与えた。

「仕事は仕事ですからがんばりましたよ。だけど仕事にともなう人間関係には興味がありませんでした。それがかえってよかったんでしょうか。僕としては単に人に関心がなかっただけなんですけどね」

 苦笑する喜正さんだが、無理に人間関係を絶っていたわけではない。幼い頃からの親との関係がつらかったので、人間関係に自分が摩耗されることを恐れていただけだ。

「仕事を生活のメインにして、時間があるときはスポーツジムに通う。そんな生活でしたね。学生時代の友人と会うことはあったけど、職場の同僚とは特に親しくはしなかったし、飲み会も参加はするけど一次会で帰っていた。周りからみると、それが一定の距離感をもって人とつきあうタイプに見えたんでしょうね」

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