お兄ちゃん・若乃花の土俵人生 新入幕時111キロの小兵力士は「横綱」の地位にもがき苦しんだ
父は大関・貴ノ花(初代)、伯父は横綱・若乃花。角界のサラブレッドとして空前の相撲ブームを巻き起こした「若貴兄弟」は、50代に入った現在もなお注目の的だ。相撲以外の話題もずいぶんと増えているが、平成が始まったころの輝きを忘れていないファンは多いだろう。今回はその「お兄ちゃん」こと、相撲巧者で知られた若乃花(三代目)について、その土俵人生を振り返る。※武田葉月『大相撲 想い出の名力士たち』(2015年・双葉文庫)から一部を再編集
【写真を見る】「幸せがにじみでてる」美人妻・倉実さんが用意した朝食に絶賛の声…おしどり夫婦ぶりを強く感じるツーショットも
柔らかな物腰と笑顔の「お兄ちゃん」
「角界のプリンス」、大関・貴ノ花(初代)の引退から7年。昭和63年春場所を前にして、ビッグニュースが飛び込んできた。
現役引退後、藤島部屋を興していた貴ノ花(当時・藤島親方)のもとに、2人の息子が同時に入門するというのである。明大中野高を2年で中退した長男・勝と、中学卒業を控えた次男の光司は、幼い頃からわんぱく相撲で活躍。伯父も横綱・若乃花(初代=当時・二子山親方)というサラブレッドの角界入りは、入門前から多くのメディアで取り上げられることとなった。
同年2月、2人は藤島部屋4階にある自宅から、若い力士が生活する2階の大部屋へ引っ越した。親子の縁を絶つ覚悟で、プラスチック製の衣装ケースを抱え、階下に移動する兄弟を、母が涙をこらえて見守る。
3月の春場所、若花田、貴花田の四股名で初土俵を踏んだ花田兄弟は、連日の取材攻勢に動じることなく、期待通りの活躍を見せた。
寡黙でちょっとぶっきらぼうな物言いをする弟・貴花田をかばうように、柔らかな物腰と笑顔で対応する若花田。そうした兄弟愛が報じられると、若花田は人々の好感を集め、いつしか「お兄ちゃん」の愛称で呼ばれるようになっていった。
史上最年少の17歳2カ月で新十両に昇進した貴花田に、遅れることわずか2場所で若花田も十両昇進。平成2年春場所、兄弟が揃って関取となったことで、「若貴ブーム」は一気に加速し、日本中が空前の相撲ブームに突入する。
運命の糸に導かれるように藤島部屋へ
若乃花(三代目)こと、花田勝が生まれた時、父の貴ノ花は20歳。横綱・若乃花(初代)の弟として入門時から注目を浴び、18歳で関取にスピード昇進した貴ノ花は、すでに押しも押されもせぬ人気力士だった。
子供の頃からズバ抜けて体格のよかった勝は、小学生になると周囲の勧めもあり相撲を始める。2歳年下の光司も、兄に負けじと相撲を始めた。
勝は体を生かし、6年生の時に全国大会でベスト8に輝いた。とはいえ、本格的に相撲に取り組み始めたのは、明大中野中に進学後のことだった。その後、中野高2年で出場した国体では、個人戦で準優勝という結果を残している。
一方、中野中3年の光司も、相撲部の練習に明け暮れていた。
「将来は、お父さんみたいにカッコよくて、人気のあるお相撲さんになるんだ」
インタビューを受けるたびに、そう言っていた光司は、中学卒業を機に角界入りを決意した。
では、果たして俺の進む道は――?
人気者の父の姿を日々目で追い、憧れて育った環境は光司と変わらない。国体で優勝を逃した悔しさを、大相撲の世界で晴らしてみたい。気持ちは固まった。誰かに相談して決めたわけではない。運命の糸に導かれるように、勝は藤島部屋の門を叩いたのだった。
[1/3ページ]