銀行勤めからロマンポルノ女優に転身「片桐夕子さん」、共演した「風祭ゆき」が明かす“清純派”の素顔【2023年墓碑銘】

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 長く厳しい“コロナ禍”が明け、街がかつてのにぎわいを取り戻した2023年。侍ジャパンのWBC制覇に胸を高鳴らせつつ、世界が新たな“戦争の時代”に突入したことを実感せざるを得ない一年だった。そんな今年も、数多くの著名人がこの世を去っている。「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」では、旅立った方々が歩んだ人生の悲喜こもごもを余すことなく描いてきた。その波乱に満ちた歩みを振り返ることで、故人をしのびたい。
(「週刊新潮」2023年4月27日号掲載の内容です)

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 日活がロマンポルノの上映を始めたのは1971年。以来、88年までに1100本余りが製作された。

 片桐夕子さんは開始時から出演。アイドル的な存在で、ロマンポルノの人気を築いた立役者である。白川和子扮する団地妻、小川節子が演じた時代劇もの、そして片桐さんの女子学生が草創期の3本柱だった。

 ロマンポルノのほぼ全作品を観てきた映画評論家の北川れい子さんは思い出す。

「片桐さんは清純派と呼ばれました。美人というより近所にいるお姉さんの雰囲気。そして胸は豊かできれい。若者は特に片桐さんの姿に親しみをいだいた。日常の所作を自然に演じられ、濡れ場に臨場感があった」

 52年、東京生まれ。本名は小堺由美子。父親は税務署に勤務していた。高校を卒業した70年、住友銀行に入行。就職から半年もたたない頃、日活映画「新・ハレンチ学園」のオーディションを休日に受けてみた。

 端役を得ただけなのに大胆にも銀行を辞め、日活に入る。翌71年に「女高生レポート 夕子の白い胸」の主役としてロマンポルノ初出演で人気者に。同作の役名を芸名にした。曽根中生監督の傑作「(秘)女郎市場」(72年)では、うぶな女郎役。一途な姿が光った。

 日活以外からも出演を請われ、「鬼の詩」(75年)で落語家の妻を熱演。「サード」(78年)や、「月山」(79年)で脇役ながら重要な役を任され評価を上げた。

中傷されてもめげなかった

 映画評論家の白井佳夫さんは言う。

「ロマンポルノ出身の名女優の筆頭格。脱ぐ演技もこれ見よがしではなく、生活感や置かれている立場が伝わってきた。尊敬の念を伝えたくて、片桐さんの右手を取って手の甲に口づけをしたことがあります。彼女は全く慌てずに同じ動作を私に返してきました」

 NHKもその演技力を放っておかず、知られた顔に。

「他の仕事が増えてもロマンポルノをやめず、約10年出演を続けた。まだ偏見が強い時期で、中傷されてもめげなかった」(北川さん)

 出演作の監督を務めた15歳年上の小沼勝さんと73年に結婚。離婚に至るが小沼監督はよき相談相手であり続けた。行動的で自由奔放。85年、突如ヨーロッパへ。掃除婦として働き自活した。3年後、帰国すると今度はアメリカへ。現地人と89年に結婚し、男児を授かるも離婚、子供の親権争いでは泣き寝入りせず裁判で闘った。

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