引退から18年…歌舞伎町「伝説のホスト」のいま 冷凍チャーハンの開発、1年前に会社設立、町中華フェスを開催する理由

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 10代を含む若い女性がホストクラブで高額な料金を請求された末、体を売って支払う事態が多発している。この問題を報じる情報番組やワイドショーへの出演が増えているのが、“伝説のホスト”と呼ばれた城咲仁氏(46)だ。引退してから18年。まずは近況を聞いた。

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 城咲氏は歌舞伎町(東京都新宿区)の老舗ホストクラブ「クラブ愛」で、2000年から5年間連続No.1ホストになったことで当時からカリスマホストとしてテレビに出演していた。その人気絶頂期に突然、ホストを辞めると発表した際には、驚きの声が上がった。なぜ辞めたのだろう。

城咲:僕は実家が飲食店(東京都板橋区の中華料理屋「丸鶴」)だったこともあり、イタリアンレストランの調理場やバーテンダーとして働いていました。お店のお客さんにホストクラブに連れて行ってもらったことがきっかけで業界に入ったんです。究極の接待業だなと思い、それを学びたいと思って「クラブ愛」に入ったのが21歳の時。5年で辞めようと思っていたんですが、No.1になり、こんなに人気が出ているんだからと言われて、結局、6年間勤めました。

――辞めたのは2005年3月だった。

城咲:当時の石原慎太郎都知事(1932~2022)が、歌舞伎浄化計画を始めようとしていた頃です。最後の1年は遊ばずにしっかり働こうと思って、毎日店にも出た。それでお金もある程度貯まったんです。

――当時、“1億円プレーヤー”とも呼ばれた城咲氏だが、最高でどのくらい稼いだのだろう。

芸能界へ

城咲:あまり言ってないんですけど、04年の現役最後の誕生日月は、キャッシュでフェラーリ3台分くらいはもらいました。メディアに出ていた関係で、他のホストさんより知られていたことも影響していると思いますが。

――ファラーリ3台分と言えば、ひと月でザッと1億円は稼いでいたことになる。

城咲:ひと月ずっと誕生パーティーだったからですよ。お金も貯まって、1回休憩して何か始めれば、またメディアが取材してくれるだろうと思っていたんです。それで高田馬場とか学生街で、ワンコインの定食屋を開こうと思ったんです。ホスト時代は、“女性を幸せにした”と言われましたが、それなら今度はお金のない若い子に腹一杯食べさせたいと思ったんです。僕も若い頃は食うに困っていましたからね。

――だが、結局は芸能界に。

城咲:いろいろ周囲の人に相談していたんです。その時に、ホスト時代に知り合ったサンミュージックの相澤正久社長にお茶でも飲もうと誘われて、「それなら芸能やってみなよ。年収は下がるだろうけど」と言われて芸能活動を始めました。あのまま定食屋をやっていたら、僕はお人好しのところがありますから、騙されたりしてお店を乗っ取られていたかもしれません。

――芸能活動を始めてからは、ドラマや映画、バラエティ番組にも出演した。現在は何をやっているのだろうか。

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